『北方領土交渉史』著者:鈴木美勝 評者:小泉悠

安倍政権はどこで読み誤ったのか

2021年11月号 連載 [BOOK Review]
by 小泉悠(東京大学特任助教)

  • はてなブックマークに追加
『北方領土交渉史』

北方領土交渉史

著者/鈴木美勝
出版社/ちくま新書(本体940円+税)

この数年、「安倍対露外交本」の出版が盛んである。より正確に言えば、「安倍対露外交の失敗総括本」ということになるだろうか。27回もプーチン大統領との会談を重ねながら、領土問題は何故動かなかったのか――。

この点にまず切り込んだのが、朝日新聞元モスクワ支局長の駒木記者による『安倍vs.プーチン――日ロ交渉はなぜ行き詰まったのか?』(2020年)である。今年9月には、北海道新聞社編『消えた四島返還』が出た。北海道、東京、モスクワを組織的にカバーし、日露間の動きを立体的に描き出しており、面目躍如と言えよう。

こうした中で登場した第三弾が、鈴木美勝著『北方領土交渉史』である。本書が面白いのは、著者の鈴木氏がロシア畑の人ではない、という点だ。鈴木氏は時事通信社政治部、ニューヨーク総局長、『外交』編集長という経歴の持ち主であり、これまでの著書も日本の政治や外交をテーマとしている。前掲書2冊が「モスクワ支局長の書いた北方領土本」及び「北海道の地元紙が書いた北方領土本」だとするなら、本書は「政治部記者が書いた北方領土本」ということになるだろう。したがって、本書の最大の見せ場は第5章である。日本の大戦略の一環として北方領土問題を位置付けようとする谷内正太郎国家安保局長、エネルギーを中心とした経済協力で一点突破を図る今井尚哉首相補佐官、選挙協力を通じて安倍首相との親密な関係を築く鈴木宗男議員……などなどが次々と登場し、ちょっとした政治ドラマの様相を呈するからだ。

彼らが安倍対露外交で果たした役割は現在までにかなり判明しており、全く思いもかけなかった真相が本書で明らかになる、というわけではない。しかし、本書では、こうした登場人物の一人一人が「キャラ立ち」しており、対露外交という場において彼らがいかに協力し、すれ違い、反目しあったのかが臨場感を持って描かれる。この点において本書は「政治部」的なのだ。

日本政治を通じて浮かび上がるロシア像もまた興味深い。安倍官邸の姿勢には、情と仁義を基調とした浪花節の気配があるが、ロシア側はひたすらドライだ。口頭ではいかに友好的な雰囲気で合意したようでもあっても、ちゃんと紙に残しておかなければ平気で反故にする(本書冒頭では安倍首相と田中角栄がともにこれで失敗したというエピソードが紹介されている)。紙に書いてあったとしても、そこに論理的な弱点があれば容赦無く突いてくる。微笑みは絶やさないが、決して妥協もしないタフ・ネゴシエイター。果たして安倍政権は、そういうロシアが相手と分かっていて交渉に臨んだのか。分かっていたとするならば、本当にうまくいくと考えていたのか。

『安倍vs.プーチン』と『消えた四島返還』はいずれも安倍政権の読みの甘さを指摘しており、この点は『北方領土交渉史』のスタンスにも共有されている。では、どこで読み間違ったのか。何故誤ったのか。まさにこの点を歴史的・同時代的に明らかにしたのが本書であって、一読をお勧めしたい。

著者プロフィール

小泉悠

東京大学特任助教

   

  • はてなブックマークに追加