『記事で綴る私の人生ノート』著者/三山秀昭 評者/安西巧
2024年12月号
連載 [BOOK Review]
by 安西巧(ジャーナリスト)
「生涯一記者」を自認するジャーナリストの半生記――。
大新聞「読売」のワシントン特派員、政治部長、渡邉恒雄社長時代の秘書部長といった経歴から、大上段に振りかぶった回想録を思い浮かべるかもしれない。だが、そんなステレオタイプの想像は冒頭から裏切られる。まえがきで三山氏はこう書く。
「『私の履歴書』のように人生最終盤で書き下ろせば、必ず『飾り』や脚色、誇張や修正、取り上げる事柄の取捨選択などが行われる。それでは『脚色された自分史』になってしまう」
「FACT」にこだわってきた生涯一記者にとっては堪えられない。そこで幼少期から書き続けた膨大な原稿をそのまま手を加えず、時代背景を追記し繋ぐだけの本に編集した。
小学6年で書いた童話会の作文に始まり、大学時代の旧ソ連・欧州旅行中に訪ねた「プラハの春」直後のチェコのルポ、読売政治部時代、田中角栄首相から退陣の真相を聞きながら記事にならなかった幻の原稿、レーガン米大統領に変造した1ドル紙幣をクリスマスプレゼントで渡したエピソード、また平成改元やサッカーW杯日韓共同開催にまつわる秘話のほか、ゴルバチョフ時代の旧ソ連再訪や北方四島訪問の見聞記なども収録。現代史の貴重な記録といえる。
刮目すべきは2016年のオバマ米大統領広島訪問の「仕掛け人」として奔走した際のインサイドストーリーだ。広島県原爆被害者団体協議会理事長の坪井直氏から「謝罪のハードルを課すのは核廃絶の近道ではない。オバマさんの広島訪問を熱望する」との言葉を引き出すとともに、自身も被爆者である森重昭氏が米兵12人の被爆死を徹底調査し、遺族を探して原爆死没者名簿に加えたという知られざる偉業をホワイトハウス説得の切り札として突きつけた。
当時三山氏は広島テレビ放送社長。15年に日経広島支局長に赴任した私が知己を得たのもオバマ来訪を巡る取材の一環だった。社長就任時地元民放4社中最下位だった視聴率を2年で「完全四冠」にした経営手腕も注目されていたが、会社の垣根や一回りの歳の差を感じさせない大らかさが印象深かった。
本書を読んで改めて気づくのは熱い行動力の半面、三山氏が冷めた分析力を持ち続けていること。オバマの広島での演説は文明論的な格調高いものだったが、核軍縮への具体論に欠けていた。そこに触れ「(ノーベル平和賞に結びついた)プラハ演説から続く“スピーチコンテスト”では意味がない」と厳しいツッコミを入れている。
出身地は富山・射水。昭和21年11月12日、浄土真宗本願寺派(西本願寺)「三谷山・西方寺」住職の四男に生まれた。ジャーナリストに不可欠の冷静な視線は生来備わった「諦観」の為せる業かもしれない。