『国税記者 実録マルサの世界』
2012年1月号
連載 [BOOK Review]
by 玄
新聞を読んでいても、ニュースを観ていても、脱税事件の報道に関心を持つ人は少ないだろう。関心を持たない人にこそ本書を読んでほしい。脱税事件がこんなにも泥臭く、奥深いものだったのかと気づかされるはずだ。
本書は国税庁記者クラブに所属していた元テレビ朝日の記者による「平成脱税事件」の取材録。だが、いわゆる「記者モノ」にありがちな、苦労話と自慢話をまとめてハイ終わり、という類の本ではない。確かにテレビ局報道部の実態や記者クラブの裏話も盛り込まれていて、それはそれで十分に面白い。しかし何よりも、ひとつひとつの脱税事件のディテールが、読み手を圧倒するのだ。
本書で取り上げられるのは、水商売、芸能界、財界などを舞台にした20を超える脱税事件。各事件の脱税の手口を知るだけでも驚きの連続なのだが、本書の最大の魅力は「脱税事件とは、人間ドラマそのものである」と著者が言うように、徹底した取材を通じて「なぜこの人物は脱税に手を染めるに至ったか」を明かしていくところにある。
濡れ手に粟で儲けたカネを、なんとかして隠そうとする脱税者のあざとさと、その姑息な隠蔽工作をあらゆる手段を使って暴こうとする査察部の攻防劇。そこに「日本一口の堅い」国税職員からなんとか情報を引き出そうとする(あるいは独自の情報源を発掘する)著者の奮闘が描かれる。3者の視点が交錯し、査察部が「告発」に、著者が「スクープ」に辿り着くまでの過程は、ミステリー小説でも読んでいるかのような興奮さえ覚える。経済通、事件通なら思わずニヤリとしてしまう人物も数多く登場し、読み手を飽きさせない(経済事件に興味がなくとも、水商売の裏側や芸能界のおカネの仕組みについては万人が興味を惹かれるテーマだろう)。
圧巻は、2009年に世間を騒がせたキヤノン大分工場建設を巡る脱税事件を取り上げた第8章。記憶に新しい事件だが、関わっている人物があまりに多く、手口も複雑なため、その詳細を理解している人は少ないのではないか。著者は、御手洗会長と幼馴染みで脱税の主犯格である建設会社社長とその「取り巻き」たちの足取りを慎重に辿り、彼らが政治家や実業家を取り込んで莫大な建設資金の一部を懐に収めるさまを丹念に描いていく。登場人物の一人一人の性格や素性を浮き彫りにすることで、難解な経済事件を丁寧に紐解いていくのだ。
著者はこの事件を通じて「脱税してもバレなきゃいい、と考える長閑な実業家が日本にはまだまだいる」と指摘するが、一体この国にはどれだけの「埋蔵金」が隠されているのか。増税路線が推し進められる最中に本書を読むと、本当に増税が必要なのか、脱税を防ぐ仕組みを整備することが先ではないかと考えさせられる。
本書には「脱税の指南書」としての価値も高いのではと思えるほど、多種多様な脱税の手段が紹介されている。しかし、読者は本書を読んでも脱税しようとは思わないはずだ。脱税の手段以上に、国税局の調査能力がどれだけすぐれているかも綿密に記されているからだ。