「暮しの手帖」の裏に隠れた十字架

『花森安治の青春』

2011年11月号 連載 [BOOK Review]
by 石田修大

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『花森安治の青春』

花森安治の青春
(著者:馬場マコト)


出版社:白水社(2300円+税)

タイトル通り、「花森安治の青春」を描いた評伝である。ただし、著者は花森の「青春が終わった瞬間」を昭和23年9月20日、「暮しの手帖」創刊号が発行された日にしている。花森37歳の誕生日のひと月前だ。随分長い青春だが、戦争と併行したその時間が、彼を編集者、デザイナーとして育て、「暮しの手帖」という例のない雑誌の創刊にたどり着かせたのである。

明治末年、神戸に生まれ、子供のころから映画見物に明け暮れ、傍ら図書館で平塚らいてうの著作を読みふける。旧制松江高校では校友会雑誌を独りで編集し、東京帝国大学でも大学新聞の編集部で、斬新な見出しデザインを示し、プロの注目を浴びた。

著者は花森が青春をすごした場所を訪ね、田宮虎彦、扇谷正造、杉浦明平、岡倉古志郎といった人たちとの交流を丹念に拾い集めていく。無関係なつながりのように思える、花森のそうした体験や交友は、読み進むにつれて、すべてが「暮しの手帖」に結びついていくことがわかる。

全共闘世代のクリエイティブ・ディレクターである著者は、花森の『一銭五厘の旗』を読んで、「われわれは」ではなく「ぼくは」と一人称単数で、孤立無援の戦いを進める姿勢に惹かれた。だが彼の死亡記事で初めて戦時中の活動を知り、だまされたと感じる。

「一銭五厘はぼくらだ 君らだ」とうたいあげながら、花森自身がかつて一銭五厘の赤紙(召集令状)を出す側、大政翼賛会宣伝部で「宣伝技術家」として辣腕を振るっていたのである。

戦時中、花森は二等兵として召集され、連日「貴様らの代わりは一銭五厘で来る」と上官に殴られる。戦闘と私刑で変容していく自分を、詩を書き続けることで、かろうじて耐えつづける。

肺結核で傷痍軍人として帰国後、大学時代の先輩に引っぱられ、大政翼賛会の宣伝部に入る。「進め、一億火の玉だ」などの宣伝文を採用し、戦争遂行の一翼を担うが、花森は自身の宣伝技術家としての能力を、国家が必要としていると、自らを納得させる。そんな花森に、知人は「戦場から引きずる奇妙な昂揚感」をみたと、証言している。

しかし、「反権力、反戦を流行にしかできなかった薄っぺらい世代」と自らを認識する著者は、花森を糾弾しない。可能な限りの資料をもとに、ただ客観的に彼の行為を書き連ねていく。そんな筆致が、「あなたなら、どうしたというのか」と、逆に花森に問われているような錯覚に陥らせる。

翼賛会時代の活動を隠していたことを「安治の生涯で唯一の間違い」と著者は指摘する。そのことはおそらく、花森自身がぬぐい切れぬ苦い思いとして、胸の奥深く持ち続けていたのだろう。だからこそ、「暮しの手帖」発刊以後、あれだけの情熱をもって庶民の暮らしのために提案し、戦争反対の姿勢を貫いたに違いない。

戦争はあらゆる個人を吞み込み、利用できるだけ利用し尽くし、役に立たなければ放り捨てる。戦後66年、平和ボケなどという言葉が、日常会話にも出てくる時代になったが、戦争という絶大な力の前に、個人がどれほど無力かを考えさせるドキュメントである。

著者プロフィール

石田修大

   

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