『残業ゼロのための N式 文章の基準』

捨て身で説く「経世済民」の文章作法

2017年9月号 連載 [BOOK Review]
by A

  • はてなブックマークに追加
残業ゼロのための N式 文章の基準

残業ゼロのための N式 文章の基準

著者/沼田憲男
出版社/日経BP社(本体1600円+税)

新聞記者が自分を語りだしたら終わりである。私事や病苦、失恋や失敗……それを語るのは小説家や随筆家でいい、読者はそんなものを読みたくて、高い購読料を払ってるんじゃない、と駆け出しで教わった。

記者は書けなくなったら、ゴミクズのように捨てられていい、忘れられても未練の悔いは残すまい、それが掟である。およそ20年前、自ら筆を折った元記者が、なぜその禁を破ったか。

いや、話が逆だ。捨て身にならなければ、記者の矜持を捨てなければ、世界を凍らせる言葉は吐けない。己を埋葬できてはじめて書けるものがある。禁を破っても、筆者が世を救う気でいることは間違いない。

その教えは簡単で、時計の針を戻し、「昭和」に帰って「新聞記者の技を盗め!」という。5W1H、短文主義、二重否定や受身形はご法度、逆三角形、メモを取るべし……と昔ながらの作法こそコロンブスの卵。さすれば、意自ずから通ず――。

確かに、今や一億総ブロガーか総LINE。メールは書けても、まともな文書が書けない病人ばかり。「簡潔」で「わかりやすい」文章を書くには、もの書きが憧れだった昭和の「綴方教室」が必要なのだろう。

実は本書に書いてない記者時代の彼を知っている。「爺殺し」「人たらし」の異能一本で、記事は書けない(書かない)、特ダネは抜けない(抜かない)というデスク泣かせ。取材を忘れて説教に励み、甘えるジジイがいなくなって、じぶんもジジイに差しかかると、今度は方向転換し、文章下手で悩む年下の「衆生」済度に乗り出した。

自身が告白するように、ブラインドタッチどころか、三本指の雨だれタッチ。深夜、新聞編集システムをシャットダウンするのに、プラグを抜いてメーンフレームを即死させかけた武勇伝の持ち主だ。で、団塊世代のデジタルデバイドを逆手にとって、パワポのポンチ絵やSNSのタメ口退治に熱が入る。

でも、悪文がはびこる真の病根は「素養がない」「練習が足りない」「度胸がない」の三無に尽きる。谷崎潤一郎の『文章読本』の名文の第一は太平記だった。石川淳が丸谷才一を評して「あいつは学がない」と言ったのも、漢籍の素地がないからだ。咿唔(いご)を廃した時点で、日本のリベラルアーツは滅びた。

そこにドン・キホーテのようにN式は挑んだ。人はコトバの海に棲む。悪文は落ちこぼれて溺れかけた人生を意味する。幸いなるかな、心貧しき者。奇特にもN式は「縋る藁」を差し出す。欠陥だらけの救い手だから君の苦しみは分かる、楽になれ、愚直という福音がある、と。

トラは死して皮を残すが、記者は死して文章(作法)を残すのか。ハウツー本は書評できないから、草葉の陰で囁こう。

フォルツァ、N式!

著者プロフィール

A

   

  • はてなブックマークに追加