『不屈の春雷 ――十河信二とその時代』上・下
2013年11月号
連載 [BOOK Review]
by 近代史研究家 山本一生
「明治以来の悲願」
人気のテレビドラマ「あまちゃん」でも、北三陸鉄道の開通式で市長がそう述べていたように、鉄道ほど「明治以来」が似合うものはない。近代化の象徴だからだろう。その究極が「広軌新東海道幹線は我民族にとり明治以来の夢」ではないだろうか。「新幹線の父」と呼ばれる国鉄総裁十河信二の言葉である。
もっとも近代史で十河信二といえば、林銑十郎内閣の組閣参謀として彗星のごとく現れ、数日後に消えたことで知られている。四十数年前に原田日記を読んだときも、どうして国鉄総裁が、こんなところに出てくるのかと奇異に感じたものだった。
長年の疑問も本書によって氷解する。新たに発見された19冊に及ぶ「備忘録」と70本近い録音テープをもとに本書は、十河信二の波乱の人生を描き切る。歯に衣着せぬ物言いのうえ、部下を怒鳴るとなれば、現代ではパワハラといわれかねないが、妙に懐かしさを覚えるから不思議である。むろん物語としては、品行の方正な人物よりも、はるかに面白い。
十河信二は、明治17年に愛媛県の貧しい家に生まれている。東京帝国大学を卒業ののち、後藤新平に誘われ、広軌派と狭軌派の渦巻く鉄道院に入省、順調に出世街道を上っていった。やがて、関東大震災とともに転機が訪れる。復興院に抜擢されたものの汚職容疑で逮捕され、辞職を余儀なくされたからである。
無罪確定後は満鉄理事に就任し、すぐに板垣征四郎や石原莞爾と親しくなる。満州事変では、理事の中では十河だけが、関東軍への積極的な協力を主張した。
その後は華北の国策会社の社長になるとともに、「満州派」の一人として活動する。そして昭和12年、参謀本部の要職にあった石原莞爾の構想のもと、板垣陸相を実現すべく十河は、林内閣の組閣本部へ乗り込んだのであった。だが陸軍の反対で実現せず、中国との戦争が始まって石原が失脚すると、長い「隠忍自重の時代」を迎える。
敗戦を経て、そのまま生涯を終えるかと思われた昭和30年、混乱の続く国鉄総裁就任の話が持ち込まれた。十河はすでに71歳となっていたが、「広軌新線建設」を条件に受諾する。それは、恩師と仰ぐ後藤新平の夢であり、自身の青春の夢でもあった。抵抗を排除し障害を乗り越えようと、十河は様々な術策を駆使して東海道新幹線建設へと邁進する。まるで70年の人生が、そのためにあったかのような仕事ぶりで、当然ながら本書のハイライトにもなっている。
そういえば内藤濯が『星の王子さま』を訳し始めたのも70歳直前、ならば高齢者となりつつある「団塊の世代」にも、いまだ為すべきことは残されているのかもしれない、そんなことを思わせる一冊であった。