緻密な取材が炙り出す「権力の実像」

『首相の蹉跌 ポスト小泉 権力の黄昏』

2009年7月号 連載 [BOOK Review]
by 曽根泰教(政治学者)

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『首相の蹉跌  ポスト小泉 権力の黄昏』

首相の蹉跌 ポスト小泉 権力の黄昏
(著者:清水真人)


出版社:日本経済新聞出版社(税込み1995円)

日本の権力は姿を見せない「システム」だとか、その中枢は「中空」だとかいう解釈がはやったことがある。数百年単位の歴史文化論としては成り立つとしても、現状の権力分析としては単に取材が足りないだけか、強い思い込みに由来することが多い。

本書『首相の蹉跌』はまさしく現実の権力とは何かを探ろうとし、小泉内閣から安倍、福田、麻生と迷走する政治の解明を試みている。

われわれがノンフィクションライターや新聞記者に期待することは、抽象的権力論や文献紹介ではなく、取材に基づいて、どこまで実態を把握しているかである。といっても、現実には、取材に基づいているように見えても、面白さを優先して裏の取り方の甘い記事や楽屋話が散見される。それゆえ、本書は、正確な記述だけではなく、取材に基づいて現実の政治プロセスの中での権力とは何か、複雑な現実政治の具体的疑問に答えているかが問われる。

例えば、かねてより疑問だったこと、小泉はなぜ竹中平蔵経済財政担当大臣の後に与謝野馨大臣を充て、結局、両者を競わせることにしたのか、とか、安倍辞任においてクーデター説がまことしやかに流れたが、その出所はどこで、どんな意図から、流されたのか。あるいは、麻生政権で郵政民営化見直しが繰り返し主張されるが、どこまで覚悟を決めた上でのことなのかなどである。これら疑問への回答は本書の中に書かれている。

本書の信頼性の一例として、与謝野大臣がインフレターゲットを「悪魔的手法」と語った現場に私も居合わせたことがあるが、本書にはそれがキチンと整理して書かれている。そのようなこまめな取材の積み重ねが本書の特徴であるし、単に小泉、竹中、与謝野など大臣への取材だけではなく、飯島秘書官などスタッフへの取材を繰り返して、裏を取っていることから、記述に厚みが生まれてくる。

何といっても、本書の白眉は、権力とは現実政治の中でどのような要素から構成されているのかを、組み立て直してみせたことである。ともすれば、ワンフレーズポリティクス、ポピュリストと呼ばれる小泉政治の本質は、首相権限を冷徹に理解し、小選挙区制や官邸機能強化、マニフェストなどを大いに利用したことにある。すなわち、衆院選で政権の選択がなされるが、政権の枠組みと、首相の選択、政策(マニフェスト)の選択が同時に行われる。官邸主導がかけ声だけに終わらないためには、総選挙で周到に準備したマニフェストを有権者へ発信しておくことが重要となる。その点では、安倍、福田、麻生は総理になる前の総裁選で「最初が肝心」という手順を踏み誤った。有権者の納得があれば、与党へのグリップも利き、官僚を従わせることもでき、議院内閣制の下で、十分リーダーシップを発揮できるということが著者の主張したいことなのである。

その理解が欠けることから、小泉の遺産である3分の2の議席が衆院にありながら、参院との「ねじれ」の前にわずか1年で交代するという権力の黄昏を経験したり、郵政民営化などの小泉政治との距離の取り方に失敗したりしてしまうのである。

著者プロフィール

曽根泰教

政治学者

   

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