象徴に「なる」という思想を創造
2019年7月号
連載 [BOOK Review]
by 岡崎守恭(歴史エッセイスト)
すべては「平成の玉音放送」から始まった。2016年8月、「平成の天皇」は退位の意向を表明した。仕掛けを入念に凝らした精巧な「おことば」に著者は衝撃を受け、「平成の天皇」は何を成し遂げたのか、その時代をたどる思索の旅に出た。
生前退位という「平成の天皇」の声を聞いた著者は明晰な論理、ふくらみのある言葉づかいの数々に驚いて居ずまいを正し、初めて耳にする名曲の演奏に全身で聞き入ったという。
「八十を超え、体力の面などから様々な制約を覚える」が語り始めだったので、「高齢」ばかりが退位の理由と見られがちだが、それならば現行法に従って摂政を置けばいい。なぜ現行法が想定していない退位でなければならないのか。
「象徴天皇とは何か、そのために果たすべき務めは何か、自分はどう考えてきたか、何を実践してきたか、あるべき象徴制はどうしたら続けていけるか、そのためになぜ摂政ではだめなのか、生前退位しかないのか」を的確に説いたのである。
それができるのは象徴にされた昭和天皇ではなく、「天皇はただ『ある』のではない。象徴に『なる』という思想を創造」し、皇后との「二人旅」でこれを実践してきた「平成の天皇」をおいてほかにはない。
かみ砕いて言えば著者は「平成の象徴天皇制どうでしたか、象徴天皇制このまま続けますか、それともこの際やめますか」という問いかけととらえた。
「平成の天皇」は象徴の在り方を成就しただけでなく、これでいいのかという「思想の爆弾」も最後に投げつけたのである。
周辺の多くの挿話も興味深い。例えば「平成」という元号は山本達郎東大名誉教授の案というのがすっかり定説となった。が、実は政界の老師、安岡正篤氏が佐藤栄作内閣の時に出し、竹下登元首相が“金庫”にしまっていた案の「名義換え」だったのではないかという検証。
「令和」の新元号制定に際して、「平成」の経緯も蒸し返された。当時、内政審議室長として担当した的場順三氏がマスメディアに頻繁に出演して「平成は山本氏の案」と繰り返し断言した。竹下氏が「二十年くらいしたら明かしてもいい」と言ったとしても、“吏道”に照らして行き過ぎではないかとの指摘もあったが、この際、安岡氏を完全に消しておこうと躍起になっていたとみればうなずける。
著者は毎日新聞に「時の在りか」の連載を持ち、毅然とした骨太の論考で知られるコラムニスト。その著者にしてからが、「平成の天皇」に一本を取られ続け、心地よく「参った」と言っている趣だけに、説得力もいや増している。