天才の兄と聖女の妹が得た「語り部」

『アンドレとシモーヌ ヴェイユ家の物語』

2011年7月号 連載 [BOOK Review]
by 石田修大

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『アンドレとシモーヌ―ヴェイユ家の物語』

アンドレとシモーヌ―ヴェイユ家の物語
(著者:シルヴィ・ヴェイユ、訳者:稲葉延子)


出版社:春秋社(2500円+税)

父はアンドレ・ヴェイユ、数学の天才で数学者集団ブルバキを結成したユダヤ系フランス人。父の妹、すなわち叔母は、これまた20世紀思想史に残る哲学者、シモーヌ・ヴェイユ。異色の2人を送り出したインテリ一家のさまざまな出来事を、彼らに振り回された娘の作家シルヴィ・ヴェイユが綴ったヴェイユ家の物語である。

冒頭から著者は、「私はこの叔母との血族関係を、あたかも一族にいる薄弱児を厭うように恥じていた」と書き出す。名高い数学者と哲学者を親族に持った自慢話ではない。そもそも、この2人、ただの数学者や哲学者ではないのだ。

幼時から虚弱体質で偏頭痛に悩まされたシモーヌは、国立女子高の教授でありながらプレス工となって労働体験、スペイン市民戦争に義勇軍兵士として参加するという常識外れの行動派。アンドレもまた第2次大戦で召集に応じず、スパイ容疑で銃殺刑を宣告され、幸い死刑はまぬかれたが、囚われの身となったのち渡米した。

「二人ともやさしい言葉を使う術も、他人との関係をとても簡単にできるちょっとしたお世辞も知らなかった。二人とも自分が感じていない感情を見せることはできなかった」

天才にはありそうなことだが、著者を悩ませたのは彼女が1942年に生まれた1年後、34歳で亡くなったシモーヌであった。夭折したシモーヌは信奉者には聖女とあがめられ、祖父母や父には愛すべき娘、妹である。しかもシモーヌは「双子のようにそっくりな父のコピー」であり、「私は自分の父親の写しにそっくりだった」。

だからこそシモーヌの生まれ変わりと思われ、常に比較されてきた彼女は、聖女の役割を演じることはできず、必然的に人々の期待を裏切らざるを得ない。「シモーヌでないということ、それが私なのだ」と自虐的に語ってみせる。

そんな叔母、叔母とそっくりな父を生み出したものを求めて、著者は父方、母方の祖先までも探り、さまざまなエピソードを拾い集める。それらはユダヤ人の悲劇、戦争に翻弄された家族といった劇的な内容ではなく、欧州の中産階級なら大なり小なり、どこにもありそうな親しみやすい逸話である。

ユーモアのセンスを秘めた著者の筆は、ヴェイユ家の人々の日常のささいな出来事まで生き生きと再現し、読者を楽しませてくれる。そこに描かれるのはインテリ家庭の教養の深さであり、一人一人の揺るぎない信念であり、そして懸命に生きる人々の頑なさである。

敢えて章建てを避けた構成は、ばらばらなエピソードの積み重ねのように思われるが、最後に亡きシモーヌがシルヴィに秘密を打ち明ける形で、著者は「綺羅星のような家族の中で私の真の居場所が、衝撃的な鮮明さで、私に明かされ」たことを知り、幕を閉じる。意外な結末が読者を驚かせ、そしてホッとさせる。

天才とうたわれ、聖女とあがめられたアンドレとシモーヌは内心世間の無理解を嘆き、軽蔑していたのではないだろうか。シモーヌが世を去って半世紀以上、シルヴィという良き語り部を得て、2人をはじめヴェイユ家の人々も、ホッと一安心したことと思われる。

著者プロフィール

石田修大

   

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