『バッハマン/ツェラン 往復書簡 心の時』
2011年6月号
連載 [BOOK Review]
by 石田修大
言葉にならぬ、筆舌に尽くしがたい。東日本大震災の惨状に、言葉に携わる多くの人が、いっとき言葉を失った。言葉の力を信じ、どんな事態だろうと、冷静に事実を見据え、的確な言葉を紡ぎ出すことを仕事にする人たちも、想像を絶する事態を前に、しばし頭を抱えたようだ。
第二次大戦直後の欧州にも、どう言ったら正確に伝えることができるか、相手に理解してもらえるか、最適な言葉を紡ぎだそうと悩んだ男女がいた。二人が言葉を探したのは、戦後の惨状に対してではなく、二人の関係、ままならぬ恋について。
一人は両親を強制収容所で失い、自らも労働収容所で過ごしたユダヤ人パウル・ツェラン。もう一人はオーストリア・ナチス党員の娘インゲボルク・バッハマン。1948年からの20年間、戦後のドイツ語詩を代表する二人の詩人が取り交わした手紙、電報、献辞など196通を中心に、詳細な注を施したのが本書である。
ウィーンで出会い、恋に落ちた二人はウィーンとパリに分かれ住んで“遠距離恋愛”を続ける。恋に夢中の数年の後、男はフランス人版画家と結婚し、女も別の男と暮らすが、再会した二人はまた恋愛関係を結ぶ。良好な関係は長く続かず、女はスイス人作家と同棲、男は作品に剽窃との非難が湧き起こり、混乱する。
二人は恋愛が破局したあとも、親しい友人として手紙のやり取りを続けた。特にバッハマンはツェランのためにあらゆる助力を惜しまず、彼をはげまし、教えさとし、会いたいと訴える。真意を伝えようと悪戦苦闘し、結局投函できなかった未発送の手紙も掲載されている。「あなたのかわいそうな美しい頭を揺すり、それにわからせたい。一語を見つけるのがどんなに難しいか。私の書いた行間にあるすべてを読みとって」
戦後の複雑な政治状況の下で、元ナチ党員の娘、収容所体験のあるユダヤ人に吹きつける世間の風、ツェランに対する剽窃非難。そんななかでナチを生み育てたドイツ語で詩を書く二人には、言葉に対する強い思いがあったはずだ。読者を感動させ多くの賞を受ける詩人でありながら、自分の言葉が愛する人に伝わらないもどかしさ。
読みやすいとはいえない直訳風の訳文だが、それがドイツ語の論理性を思わせるとともに、バッハマンやツェランの逡巡や、何としても真意をといういらだちまで感じさせる。
バッハマンは、61年9月、ツェランに「自身の中にある不幸を克服せよ」と強く迫る未発送の長い手紙を書いたあと、同年12月、「健康になってほしい」と最後の手紙を書き送る。ツェランはその後、67年7月に仕事上の礼状をバッハマンに送り、3年後にセーヌ川で投身自殺。その3年後、バッハマンも大やけどを負い亡くなった。
書簡類と注を前後に分けて配置し、簡単な年譜を付しただけの本書は研究者向けに企画されたものだろう。だが、バッハマンとツェランの妻との往復書簡なども含むこの書簡集は、「きっちりした女」と「きっちりしていない男」(ツェランの献辞)の愛を語るラジオドラマのような味わいがある。