古楽に傾倒した「異端者」の春

ブラームス『交響曲第1番(第2楽章 初稿版)』

2011年4月号 連載 [MUSIC Review]
by 堅

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ブラームス『交響曲第1番(第2楽章 初稿版)』

ブラームス『交響曲第1番(第2楽章 初稿版)』
(指揮:延原武春/演奏:日本フィルハーモニー交響楽団)


発売:オクタヴィア・レコード(税込み2500円)

卒寿(90歳)過ぎまで指揮活動を続けた巨人、朝比奈隆(1908~2001年)が亡くなって10年。60代半ばを過ぎた延原武春、通称ノブさんがここ数年、急激に関西楽壇の外でも注目を集め、全国のオーケストラから客演を要請される指揮者の仲間入りを果たした。

朝比奈が大阪音楽大学で教えていた63(昭和38)年、延原は学内の音楽仲間たちと、18世紀以前の音楽を専門に演奏するグループ、テレマン・アンサンブルを立ち上げた。当時の日本ではこうした古楽の分野は大バッハ、ヴィヴァルディ以外あまり顧みられていなかった。名称はドイツの作曲家ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681~1767年)にちなみ、現在も大阪に本拠を置く日本テレマン協会まで脈々と引き継がれている。晩年の朝比奈に延原のことを尋ねたところ「当時の大音は学生の演奏活動を禁じていたにもかかわらず、延原君たちは我々に未知の音楽をあちこちでちょろちょろ弾きだし『困った』と思ったが、一度もやめずに30年以上続けてきたのだから、あれはあれで立派な奴だ」と、予想外の誉め言葉が飛び出した。

第2次世界大戦の終結後間もなく現在の大阪フィルハーモニー交響楽団を立ち上げた朝比奈は旧京都帝大卒、阪急での勤務経験もあって財界に支援の輪を広げ、関西楽壇の「ドン」として君臨。そのかたわらで、バロック音楽をこつこつ演奏し「テレビ漫画やおまへん、テレマンでっせ」など軽妙なトークでファンの熱狂的支持を集める延原の存在は微妙だった。

だが朝比奈は公正な眼差しで、延原を遠くから見守っていた。民主音楽協会(民音)が60年代に国際指揮者コンクールを始めたころ、延原が本名のコリアンネームで応募した。母が朝鮮最後の王朝の一族で、在日コリアンとして育ったが「(北朝鮮の友好国だった)旧東ドイツへ演奏旅行する際、西の韓国籍では都合が悪いと考え、80年代に日本籍へ帰化した」(延原)。コンクールの審査委員長だった朝比奈は「多くの人が出自を明かすのをためらう中、堂々と本名を名乗る延原は偉い」と漏らしたという。だが当時、東京のオーケストラは「中央」意識が強く、オーボエ奏者出身で関西弁をくねくねと話し、バロック音楽に熱狂する在日コリアンの指揮者には関心を示さないどころか、無視を決め込んでいた。

21世紀。世界の楽壇では、延原の主戦場だった古楽が市民権を確立した。ピリオド(作曲当時の仕様の)楽器の奏法を大オーケストラも採り入れ、古典の演奏に再度、磨きをかける動きが積極化した。日本でも最初は海外のピリオド系指揮者を招いたが、すぐ、彼らより早くに始め、豊富な経験を持つ延原の「再発見」へと進んだ。

九州交響楽団、オーケストラ・アンサンブル金沢、日本フィルハーモニー交響楽団……と歩を進め、日本フィルとは昨年、このブラームスの交響曲まで録音した。そして09年には、ついに大阪フィル客演が民音の仲立ちで実現した。昨年からは大阪フィルに古典音楽のシリーズを任されている。「朝比奈先生全盛期の良い音を蘇らせたい」と張り切る延原に、楽員も熱い共感を寄せている。

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