日本人に二度つかまった「流転の名手」

ブラームス『ヴァイオリン・ソナタ集』

2009年10月号 連載 [MUSIC Review]
by 堅

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ブラームス『ヴァイオリン・ソナタ集』

ブラームス『ヴァイオリン・ソナタ集』
(演奏:シモン・ゴールドベルク[ヴァイオリン]/アルトゥール・バルサム[ピアノ])


発売:ユニバーサル ミュージック(税込み2200円)

今年はヴァイオリン奏者、シモン・ゴールドベルク(1909~93)の生誕100年に当たる。

ポーランドに生まれ、天才少年として頭角を現し、欧州楽壇の中枢へ進出。ユダヤ系だったため米国へ逃れ、後に米国籍を取得した。亡くなったのは晩年を過ごした富山県。人は「流転のヴァイオリニスト」と呼ぶが、音楽の本質を見据えた孤高の人生には筋が通っていた。

往年のクラシック音楽ファンが仰ぎ見た20世紀前半の大音楽家たち、カール・フレッシュにヴァイオリンを学び、指揮者のヴィルヘルム・フルトヴェングラーからベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターに就くよう要請された。弱冠20歳での抜擢だった。ベルリンフィル入団後は室内楽にも力を入れ、ハンガリーの女性ピアニスト、リリー・クラウスとの二重奏は戦前の日本でも高い評価を得て、1936年には最初の来日公演が実現した。

「私は日本人に生涯2度、つかまった」。80代のゴールドベルクが好んだ、少しブラックな言い回しがある。最初は42年。クラウスと演奏旅行先のジャワ島で日本軍に抑留された。

2度目は88年。ゴールドベルクは日本のピアニスト、山根美代子と再婚する。「重要な話がある」と切り出されたとき、山根が「ありとあらゆる可能性の中で最も低い」と思っていたプロポーズは叶い、ゴールドベルクは日本人に再び“つかまった”。結婚後、ゴールドベルクは新日本フィルハーモニー交響楽団の指揮者陣に加わったが、東京・五反田の山根宅より、富山県大山町(現富山市)のホテルでの静かな時間を好んだ。「花ひとつでも人工栽培ではなく野生を求めた」というゴールドベルクは北陸の自然を心から愛していた。新日本フィルでもバッハならバッハ、シューマンならシューマンに「必要とされる音」のイメージを確固として持ち、その基本ができるまで厳しく、根気強く、リハーサルを重ねた。

「教会の建設に携わる石工の意識には2通りある。『石を積んでいる』と『大聖堂を建てている』。音楽家はもちろん、後者であるべきだ」「有名曲で人気を博したら、同じ曲の繰り返しに甘んぜず、次は、少し難しい曲に挑む。つねに聴衆の一歩先を行き、啓蒙する義務が私たちにはある」

NHKが制作したゴールドベルクのドキュメンタリーで、深く印象に残った発言だ。日本の若い演奏家への遺言はそのまま、ゴールドベルク自身が生涯を通じ、演奏に課してきたクレド(信仰)でもあった。

「機能的なものは美しい」と主張した1920年代ドイツの芸術教育チーム、バウハウスのクリエーターと親交のあったゴールドベルクの演奏は一切の無駄をそぎ落とし、楽曲の核心に迫るが、ヴァイオリンの音色はどこまでも美しく、自然な呼吸に満ちていた。生誕100年を記念して英テスタメント社がCD化、日本のユニバーサル ミュージックが国内盤を発売したブラームスの『ヴァイオリン・ソナタ集(第1~3番)』には、その魅力が溢れる。

美代子夫人も亡き今、静かに耳を傾け、名手を偲びたい。

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