なお新境地を拓く「天才」の円熟

ブリテン『戦争レクイエム』

2010年10月号 連載 [MUSIC Review]
by 堅

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ブリテン『戦争レクイエム』

ブリテン『戦争レクイエム
(指揮:小澤征爾/演奏:サイトウ・キネン・オーケストラ)


発売:ユニバーサルミュージック

日本のクラシック音楽ファン、中でも1960~80年代に青春を送った人間にとって、指揮者の小澤征爾は仰ぎ見るような存在だった。第二次世界大戦前にも近衛秀麿、山田耕筰ら海外で指揮活動を行った日本人はいたが、30代で北米のメジャー楽団や欧州の名門ザルツブルク祝祭(音楽祭)などの指揮台に招かれ、38歳で米国5大オーケストラの一角、ボストン交響楽団の音楽監督に就くといったスケールの活躍は小澤が初めてだった。

小澤自身、自らの音楽解釈を「東側からみた太陽」と表現する。ドイツやイタリア、フランスなどクラシック音楽の中心地である西欧の感覚、スタイル、音づくりと全く趣を異にする感性が欧米では一種のセンセーションとして、熱狂的に迎えられた。対する母国では長年、西洋音楽の名演奏に実演ではなくレコードで接してきた経緯から、欧州の巨匠大家の重厚で伝統的な解釈が好まれ、型破りの小澤にはファンと同じくらいアンチが存在した。

ところが、つい先ほどまでアンチ小澤だった人も本人に会った瞬間、ファンに“転ぶ”。ジャンルを無視してくくると小澤は田中角栄、長嶋茂雄と並ぶ、戦後3人の「人たらし」の魅力を備えている。海外でひとり奮闘する日本人の若者に出くわせば、スクーターに日の丸を立てて欧州へ乗り込み、ブザンソン国際指揮者コンクールで栄冠を勝ち得た若い日の自身に姿を重ね合わせ、「世界のオザワがここまでするか」と驚くほどの支援を惜しまない。

今から30年ほど前、小澤がTBS系列の音楽番組「オーケストラがやってきた」の企画で早稲田大学交響楽団を指揮した。大隈講堂でリハーサルを眺めていると舞台下手(左)側の壁に、テレビ撮影用のライトに照らされた小澤の大きなシルエットが浮かんだ。これほどまでに優雅、舞踊芸術として通用する指揮姿を目にしたのは初めてで、深く感動した。

しなやかで大胆、豹を思わせる野生の動きを持ちながら、日本人らしく柔らかく協調的な音楽をつくる小澤の特長は、机上の学問の産物ではない。長く欧米で活躍しながら流暢でない英語、オペラの原作となる文学への関心の低さ、音楽学者と協働し作曲家の自筆譜面に当たるといった学究的姿勢の不足のそれぞれを小澤の欠点に挙げる専門家は多い。2002年にウィーン国立歌劇場音楽監督に就いた時は、世界のオペラ関係者が驚いた。

だが70代にして、オペラ指揮に長足の進歩をみせたのが天才の天才たるゆえんだ。新日本フィルやサイトウ・キネン・オーケストラなど、小澤が従来オペラを指揮した楽団は交響楽が専門。劇場体験はないから、小澤が一から十まで面倒をみて「与える」一方だった。ところが、ウィーンでは天下のウィーン・フィルがオペラを奏で、小澤に多くを与えた。オペラでも独自の個性を放ち始めた矢先だけに、食道を全摘出した癌手術後の全快を願ってやまない。昨年のサイトウ・キネン・フェスティバルの実況録音2点(『戦争レクイエム』と『ブラームス交響曲第2番』)を聴けば、素晴らしい円熟境を誰しも実感できる。

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