「教皇庁のマネロン」物証が日の目

『バチカン株式会社 金融市場を動かす神の汚れた手』

2010年11月号 連載 [BOOK Review]
by A

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『バチカン株式会社 金融市場を動かす神の汚れた手』

バチカン株式会社 金融市場を動かす神の汚れた手
(著者:ジャンルイージ・ヌッツィ/訳者:竹下・ルッジェリ・アンナ、花本知子、鈴木真由美)


出版社:柏書房(税込み2520円)

ロンドンに赴任していたころ、テムズ河畔をぶらつきながら、いつもそこにさしかかると、こわごわ橋脚の下を覗きこんだ。その名もブラックフライヤーズ(黒衣の修道士)橋。金融街シティの地下を流れる暗渠が口をあけていた。

1982年6月18日未明、そこに縊死体がぶら下がっていた。カソリックの総本山、バチカンの不正資金操作に関与し13億ドルの穴をあけて失踪したアンブロジヤーノ銀行頭取ロベルト・カルヴィ。現場はどう見ても好んで自殺に選ぶ場所とは思えなかった。車の往来の下でどうやって絞首したのか。

イタリア政財界首脳が名を連ねた秘密結社「P2」と教皇庁の深い闇は、84年にデヴィッド・ヤロップが調査報道したIn God’s Name(邦訳『法王暗殺』)に詳しい。旧住友銀行が買収した銀行も巻きこまれたが、解任されたバチカン銀行(正式名は宗教活動協会)総裁、マルチンクス(映画『ゴッドファーザー』でも描かれた)とともに葬られた過去の話と思っていた。

さにあらず、秘めた第二幕があった。「アヴェ・マリーアと唱えているだけでは教会は運営できない」と言い放ったマルチンクスが去って後、裏で特別顧問のドナート・デ・ボニス師が、収賄政治家の現金や国債、マフィアの不正利得の“洗浄”役を務めていたのだ。

90年代前半のミラノ地検による捜査で、アンドレオッティ首相やクラクシ元首相らがあぶり出され、教皇庁は悪夢再来にうなされた。デ・ボニス一派の悪行を追跡する調査班が組まれ、物証は4千点に及んだ。バチカンの権威失墜を恐れて長く日の目を見なかったが、保管者が03年に死亡し、遺言によって奇跡のようにイタリアのジャーナリストの手に渡ったのである。

暴露された事実は凄まじい。イタリア第二の財閥フェルッツィ家を舞台に、モンテディソンとENIの合弁解消をめぐる巨額の賄賂がバチカン経由で滔々と流れる過程には唖然とさせられる。「すべての破綻はバチカンに通じる」と書かれたこのスキャンダルで連立政権は崩壊したが、その時点でも教皇庁は沈黙したまま。物証の文書は現在、ウェブで公開されているが、首相の口座番号が飛び出す迫真性を否定できないのだろう。

陰謀史観に染まった『ダ・ヴィンチ・コード』の読者はむしろ読まないほうがいい。おびただしい固有名詞と複雑な人脈の記述は、丹念に注を読む忍耐力とイタリアの政治経済への理解力を必要とする。調査報道は安直なエンタテインメントを許さないのだ。

デ・ボニスの手口は二重帳簿と簡単だが、諸悪の根源はムッソリーニが1929年に締結したラテラノ条約11条の不可侵条項にある。政府の捜査の手が及ばないアジール(聖域)だから、慈善団体を装った基金名義の架空口座が乱立しているのだ。これは日本の宗教法人にもいえ、免税特権の乱用の温床という現状は同じだろう。

本書もおそらく過去形では終わるまい。機密文書の暗号「ローマ」と「オミッシス」はデ・ボニスとアンドレオッティだったが、もうひとり加担した教皇庁高位聖職者「アンコーラ」の正体はいまだに不明だ。現在の教皇ベネディクト16世のもとでも腐敗は根絶されていないのではないか。

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