グリーグ劇音楽『ペール・ギュント』
2009年8月号
連載 [MUSIC Review]
by 堅
日本の政界で先ごろ、世襲の是非が問われた。芸術の世界にも似たような話は昔からある。
エストニア出身の指揮者、パーヴォ・ヤルヴィ(1962~)は現在、米国のシンシナティ交響楽団、ドイツのフランクフルト放送交響楽団、ドイツ・カンマー(室内)フィルハーモニーの首席指揮者や音楽監督を兼ね、間もなくパリ管弦楽団のトップにも就く。この「世界で最も多忙なマエストロ」の父はスウェーデンのイェーテボリ交響楽団の音楽監督として一世を風靡したネーメ・ヤルヴィ(1937~)。弟のクリスチャン・ヤルヴィ(1972~)も指揮者で、世襲というよりは家業のにおいすら漂う。ちなみに妹はフルート奏者である。
不振とされるCD市場においても、パーヴォの快進撃は群を抜く。過去2カ月間だけでもエストニア国立交響楽団とのグリーグ「劇音楽『ペール・ギュント』」、チェロのゴーティエ・カピュソンと共演しフランクフルト放送響を指揮したドヴォルザークとハーバートのチェロ協奏曲(以上EMI)、シンシナティ響とのムソルグスキー(ラヴェル編曲)「組曲『展覧会の絵』」、ショスタコーヴィチ「交響曲第10番」(以上テラーク)、フランクフルト放送響とのブルックナー「交響曲第9番」、ドイツ・カンマー・フィルとのベートーヴェン「交響曲第6番『田園』 第2番」(以上BMG)と、3社から6点の新譜が発売された。
どれも演奏の質は高く、抜かりがない。グリーグはストーリーの語り手として天性の素質を感じさせるし、協奏曲では伴奏以上の積極的関与を惜しまない。ベートーヴェンやブルックナーでも直近の学究成果を即、演奏に反映させている。米国のオーケストラでは長所でも欠点でもある音の鳴り過ぎを巧みにコントロール、ゴージャスでも内実を失わない。
だが、心底感動するまでの鑑賞体験に至る1枚はまだない。パーヴォが30代前半、東京交響楽団への客演で初来日した折、自ら発した言葉はなかなかに意味深長だ。「一つの作品に何年も何年も費やし、解釈を深めていくクラシック音楽の世界において、20代や30代のマエストロ(巨匠)などありえない。パパ(ネーメ)だって60歳を過ぎたあたりからようやく、味わいが出てきたのだから」と、当時は拙速を戒めていた。「いつ、どこで指揮しても“エストニアの”ではなく、“ソ連の指揮者”と紹介され続けた」と振り返る父が苦心の末に1980年、米国へ移住して後ようやく頭角を現した記憶も、まだ生々しくあるのだろう。
イプセン原作、グリーグ作曲の『ペール・ギュント』では、そうした親子の比較が可能。20世紀後半に発見された初演総譜に基づく初の完全全曲盤(ユニバーサル=CD2枚組)は父ネーメが87年、イェーテボリ交響楽団と録音した。パーヴォも同じ版を採用したが、全曲での親子対決を避け、台詞を省き、CD1枚分の抜粋盤で演奏の密度を高めた。パーヴォはここでも、「朝のすがすがしさ」「オーセの死」「ソルヴェイグの歌」など名曲の聴きどころのツボを見事に押さえている。野心的なようで節度も弁(わきま)えた好漢という感じがして、何だか微笑ましい。