「未知への旅」の万華鏡

『ザナドゥーへの道』

2009年8月号 連載 [BOOK Review]
by 石

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『ザナドゥーへの道』

ザナドゥーへの道
(著者:中野美代子)


出版社:青土社(税込み1995円)

昼下がりの郊外電車。座席の前に立った若い男性が、「目的もなく散歩する意味がわかんない」と話しだした。苦笑する連れの女性に「一人でブラブラして何が面白いんだろう」と散歩無用論を展開、思わず顔を見上げてしまった。

そういえば最近の若い人たちは旅をしなくなったとも聞く。格差社会とやらで生き残るのが精一杯、非日常の時間や空間に遊び、己自身と向き合ってみたいなどとは思わないのだろう。そんな人たちは、おそらく全く興味を示さないかもしれないのが、この本『ザナドゥーへの道』である。

第一話から登場するのが、それこそ「意味ないじゃん」と一蹴されそうなストーリー「亡国の大使ミカエル・ボイム」。17世紀半ばの中国・明朝末期、永暦帝の王太后からローマ教皇にあてた援軍要請の親書を託されたイエズス会士が、2年余をかけてローマにたどり着く。3年待って教皇の返書を手に帰途についたときには、王太后は亡くなり、永暦帝は雲南に逃れていた。亡命政権の大使としてあちこちで入国を拒否され、結局、返書を届けられず、山中の洞穴で息絶える。

もともと無駄な使命を、果たせずに倒れた男。だが、彼はイエズス会の指令で極東各地を布教して歩き、未知の碑文や植物に興味を示し、著書も残した探索者でもあった。“地上の楽園”ザナドゥーをタイトルにした本書は、そんな見知らぬ土地を目指して、無謀とも思われる旅をした男たちの12のエピソードを収録している。

12世紀後半、エトナ山の噴火でシチリア島を逃れ、やがて十字軍に参加し、イスラム軍に投降、中央アジアでモスク建造に従事した石工の数奇な運命。その数十年前、女真族の金に追われ、逆に東から中央アジアに攻め入り、カラ・キタイ(西遼)を建国したグル・ハーンも登場する。「イスラム世界のど真ん中に来てしまった」とつぶやく彼こそ、十字軍を救う東方キリスト教国の伝説の君主プレスター・ジョンに擬された一人という。

自身の研究のため義和団事件さなかの中国に渡り、敦煌千仏洞の古写本の山と格闘したフランス人東洋学者ポール・ペリオ。彼の全著作860余編もすごいが、アメリカ自然史博物館のベルトルト・ラウファーも、ペルシャ、マレー、シナ、日本、ドラヴィダなどあらゆるアジア諸国語を学び、旺盛な研究心に駆られて動植物から鉱物まで500編の論文をまとめた。

彼らの残した記録や著作を渉猟し尽くした著者は、各編の登場人物と自在に交流し、遊んでみせる。ときにはインドに仏典を求めた玄奘三蔵と、唐に旅したネストリウス派の僧侶アロペンをすれ違わせたり、ダニエル・デフォーの本に登場する月からシナにやって来たミラ・チョ・チョ・ラスモと、ロビンソン・クルーソーに会話をさせて楽しむ。

登場人物のほとんどが初見だが、それだけに古代から近現代にわたり未知の世界を求めた冒険者たちの物語は、万華鏡のような不思議世界を旅する気分にさせられる。デジタルワールドのネットサーフィンより、遙かに知的、かつ刺激的なことは間違いない。

著者プロフィール

   

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