『競馬の社会史1 文明開化に馬券は舞う 日本競馬の誕生』
2009年3月号
連載 [BOOK Review]
by 山本一生(競馬史研究家)
「一国の競馬の質は、その国でいかに競馬に関する雑誌や単行本が出版されているかによって判断できる。競馬に関する立派な本が出版されている国の競馬は、質の良い競馬を行なっている」
競馬研究の泰斗、佐藤正人の名言である。それに従うならば、馬券売り上げ世界一を誇る日本の競馬も、質の面では、はるかに遅れているといわざるをえない。W・ロバートソンの『アメリカ競馬史』やR・モーティマーの『ダービー・ステークスの歴史』など、欧米では競馬史の優れた著作が数多く並んでいるのに対し、日本では全く見当たらなかったからである。
だがそれも、富山大学教授、立川健治の「競馬の社会史」シリーズによって終わりを迎えようとしている。シリーズ第1巻が本書で、776頁もの大部になったのも、わが国で初めての本格的な競馬史であるがゆえだろう。題名の通り、幕末から明治中期にかけての競馬の歴史をたどっていて、知られざる側面を浮かび上がらせる。
とりわけ幕末の欧米人の競馬へのこだわりは興味深い。日本の地を踏んだ欧米人たちは、早くも万延元年(1860)には横浜の元町で競馬を始める。その後も場所を移しながら開催するが、同時に競馬場の設置を幕府に要求していった。攘夷が声高に叫ばれ、討幕運動も激しさをます最中に、英国公使のオールコックやパークスが、他の案件とともに競馬場を求めて粘り強く交渉する様は、驚きであるとともに感動的でさえある。彼らにとって競馬は「社会生活の必需品の一つ」だったのだろう。それはアーネスト・サトウやトーマス・グラバーにもいえることで、多くの評伝では触れられてはいない競馬からの視線が、今後は求められるのではないだろうか。
鹿鳴館時代の競馬も新鮮である。一般的に歴史書でも小説でも、鹿鳴館といえば舞踏会だが、天長節の夜会が初めて開かれたのは、12万円の巨費を投じて造られた上野の不忍池競馬場で初めて競馬が行われた日でもあった。3日間開催され、その間には、明治天皇をはじめ、皇族や華族、政府高官や各国公使、実業家など、当時の有力者がすべて顔を揃え、スタンドも満員で、大変な盛況のうちに幕を閉じる。その最終日に夜会は開かれたのだが、翌日の新聞の扱いは競馬のほうがはるかに大きかったという。「文明国の証」としての華やかな社交の場の役割を担ったのは、鹿鳴館ばかりではなかったのである。競馬場の貴婦人など、映像的にも面白そうで、競馬と舞踏会からなる新しい鹿鳴館の映画やドラマも見てみたい気がする。
幕末の横浜や鹿鳴館の競馬でもわかるように、じつは本書は、日本近代における競馬の歴史を論じているのではなく、競馬という「西洋」の受容を通して近代日本を論じている。「競馬は時代の比喩」という著者の言葉からも明らかだろう。その意味では、競馬に関心がある人よりもむしろ、幕末や維新、文明開化など、日本近代に興味がある人にとってこそ必読の一冊なのかもしれない。
「競馬の社会史」シリーズは全5巻で、次回『日露戦争後の競馬』の配本は来年の秋、完結は2016年が予定されている。