『世界一高いワイン「ジェファーソン・ボトル」の酔えない事情』
2008年11月号
連載 [BOOK Review]
by 石
1985年12月、ロンドンでクリスティーズのワイン競売会が開かれた。この日の目玉はシャトー・ラフィット1787年、それまでの競売で最も古いヴィンテージの赤ワインだった。古いだけではない。ボトルには“Th.J.”とイニシャルが刻まれていた。ワイン通としても知られるアメリカ第3代大統領トーマス・ジェファーソンが、駐仏大使時代に購入・保管していた200年前のワインだったのだ。
ボトルを真正と保証したのはクリスティーズの競売人であり、世界一の味覚の持ち主とされ、テイスティングの手引書も出しているマイケル・ブロードベント。1万ポンドから始まった競りは熱気をはらんで進み、10万5千ポンドで落札され、ギネスブックに1本のワインに支払われた最高額として記録された。競り落としたのは米経済誌「フォーブズ」の発行人、マルコム・フォーブズだった。
ところが、「ジェファーソン・ボトル」を競りに出したドイツの著名なワイン・ブローカー、ハーディ・ローデンストックがボトルの正確な発見場所、ボトルの数などを明かさなかったことから、このボトルに対して次々と疑問が呈される。
にもかかわらず、ローデンストックはこのあともジェファーソン・ボトルを売りに出し、アメリカなどのワイン・コレクターたちが高値で買いあさる。
ローデンストックとブロードベントを軸に、ヴィンテージワインに群がるコレクターたちの優雅で愚かしい振る舞いが描かれる。と同時にジェファーソン・ボトルの謎解きが進められる仕掛けだ。
ワインの等級を100ポイントにも分けるというテイスティングの信じられない精緻さ、「英雄にふさわしい、戦う大天使の英気を養うような飲み物」などと言葉を飾った香りの表現。何万本ものワインをコレクションし、同じ醸造年の異なる銘柄のワインを集めた“水平”、あるいは一つの銘柄で異なる醸造年のものを集めた“垂直”の、派手なメガ・テイスティングを催すコレクターたち。
安ワインをあおる手合いには縁のない、華麗なワイン・コレクターの世界がなかなかに興味深い。だが、綿密な取材を繰り返した著者が、ワインの樽にどっぷり浸かりすぎたせいか、ジェファーソン・ボトルの真贋に興味を集中する読者には、気を持たせすぎの感がある。途中で酔いが覚めてしまわなければよいが。
ジェファーソン・ボトルに限らず、怪しげなワインは大昔からあったようで、既にローマ時代には煙や水、海水を使って熟成を早めたりしており、「ワイン偽装の黄金時代」だったそうだ。
世界一高いワインを売りつけたローデンストックも、エネルギー関連企業のオーナーに裁判で追いつめられ、四面楚歌に追い込まれてしまう。だが、そうなってもなお、彼は傲然と構えて、「いまのところ、ローデンストックは五体満足のまま社交界で活躍している」という。
そんな話を知ると、次々と社長連中が記者会見で頭を下げる日本の食品偽装など、ちいせえ、ちいせえと思わないでもない。