2008年10月号
連載 [CHALLENGER]
by M
衆院当選8回、参院当選1回の歴戦のつわもの、公明党副代表の草川昭三氏(80)が1年2カ月ぶりに参院議員に返り咲いた。昨年7月の参院選の公明党比例代表で次点の憂き目にあったが、同じ参院選の比例代表で当選した遠山清彦氏(39)が次期衆院選に出馬するため辞職、草川氏の繰り上げ当選が決まったのだ。
草川氏は連立を組む自民党とのパイプ役を果たし、小泉政権当時は公明党の本音を自民党サイドに伝える「通訳的な存在」だった。その草川氏は昨年の参院選前に、いったんは引退を決意したものの、公明党に促されて比例代表名簿の8人目の候補として出馬。この時は安倍政権に対する逆風をもろに受け、公明党の比例議席は七つにとどまり、涙をのんだ。
すると、その後発足した福田内閣の下で、首相官邸と公明党の間の意思疎通が滞り、自民党幹部から「こんな時に草川さんがいてくれたら」(党三役経験者)とボヤキが漏れ始める。実は、こうした事態を想定した公明党も、昨年の参院選直後から「決して引退表明しないように」と、草川氏に釘を刺していた。このため、草川氏は落選後も公明党副代表の地位にとどまり、東京・八重洲に事務所を開設。秘書スタッフもそのまま維持して復活の時に備えていた。
遠山氏は9月1日に鞍替え宣言したが、その時点での解散の見通しは早くて「年末」。「遠山氏の早すぎる辞職は、自民党の古賀誠選挙対策委員長や青木幹雄・元参院議員会長らと太いパイプを持つ草川さんを一日も早く復帰させ、公明党執行部の態勢立て直しと与党内調整にあたらせるため」(自民党選対関係者)との見方が、永田町に広がった。
最近、公明党は自民党と一線を画し、独自路線を歩み始めているかに見える。自民党議員は「新テロ特措法や景気対策などで公明党との折り合いに苦慮している。草川さんなら緊張関係を解きほぐしてくれるかもしれない」と期待する。
草川氏は名古屋市出身。IHI(旧石川島播磨重工業)労組委員長を経て、1976年に旧愛知2区から無所属(公明党推薦)で衆院選に出馬し、初当選。野党時代は切れ味鋭い予算委員会での追及が話題を呼び「爆弾男」のニックネームをつけられた。99年に公明党副代表・国会対策委員長に就任。古賀誠自民党国対委員長、二階俊博自由党国対委員長(当時)とともに自自公連立政権の舞台回しで活躍し、「国対団子3兄弟」と呼ばれた。
創価学会を支援母体とする公明党に対するアレルギーが残るなか、非会員出身の草川氏は異色の存在。連立政権の「潤滑油」「キーマン」としての評価が一気に高まった。
ところが、9期連続当選に挑戦した00年の衆院選であえなく落選。辛酸を嘗めたが、翌年の参院選に挑み、72歳で初当選を果たした。旧制名古屋市立第一工業学校卒で労組出身の草川氏は政界で人知れぬ苦労を重ね、誰もが認める重鎮となった。
そして再び落選、雌伏1年。「草川さんの充電期間は終わった。年齢を感じさせない頭脳と弁舌、筋を通す正義感は変わらない。そして何より庶民の心を知る苦労人だ。もう一肌脱いでほしい」と有力創価学会副会長も率直なエールを送る。草川氏はサハリン残留韓国人の帰国実現や盲導犬育成支援などの活動でも知られ、弱者に対する目配りも忘れない。
残暑のさなか、草川氏は連日、挨拶回りで汗を流している。「これまでの経験がお役に立つならうれしい。国会、国民のために頑張りたい」と微笑む。無類の焼き肉好きでスキーで鍛えた体は健康そのもの。「不屈の苦労人」に期待がかかる。