『日本の司法』憲法裁判の現場から 著者/竹田昌弘 評者/山本豊彦
2026年2月号 連載 [BOOK Review]
幼い頃、母からよく砂川闘争の話を聞かされた。母は、地元・北九州の大学に入学したものの、「社会科学が勉強したい」と法政大学社会学部に編入した。「女は大学なんか行かなくていい」との父親の反対を押し切っての上京だった。
結婚後、北九州に戻った母は、社会運動に参加することはなかった。そんな母は幼かった私に、砂川闘争でデモの会計係をやっていたことを楽しそうに話した。母はいま94歳で施設にいる。年末、帰省した際、母は食堂で一人、雑誌『世界』を静かに読んでいた。「この人の中には、砂川闘争の時から変わってないものがあるんだ」と思った。
母の話を聞いて育った私は、「大学は学生運動をするところだ」と勝手に思い込み、早稲田大学入学後、日本共産党に入党した。砂川闘争は、私と母の「秘密」の思い出で、私が日本共産党員となるきっかけだった。本書が、憲法裁判・事件の最初に取り上げたのが、その砂川事件だった。
憲法についてはこれまで様々な本が出ている。本書は「憲法 忘れられない場所」とのタイトルで共同通信が配信した連載記事に加筆したものだ。しかし単なるルポではない。憲法をめぐる国民と日米政府との戦い、憲法裁判における権力による水面下での卑劣な工作、「中立・公正」を看板にする司法の正体を暴いている。
東京・米軍立川基地の拡張計画をめぐる砂川事件。一審東京地裁での伊達判決(1959年)に、安保改定を目指していた日米両政府は大きな衝撃を受けた。日本政府が米軍駐留を許していることは、憲法9条2項が禁ずる「戦力の保持に該当する」として駐留米軍は憲法上その存在を許すべからざるものと断じたからだ。
日米両政府は水面下で動いた。マッカーサー駐日米大使が最高裁長官だった田中耕太郎と密談。その後、最高裁は伊達判決を破棄し、審理を差し戻す判決を出した。日米政府と国民とのたたかいだった砂川闘争は、憲法9条と日米安保体制をめぐるたたかいだったのだ。そのことが、事実と当時の関係者の話で冷静に綴られている。
本書は、憲法問題が争われた33の裁判・事件を、「平和主義」「生命・自由・幸福追求権」「平等原則」など憲法の規定に基づき、整理している。たとえ司法が不当判決を出したとしても、憲法が権力を縛り、国民のたたかいの拠り所になっていることがわかる。権力はそのことを一番よく分かっているからこそ、憲法、中でも9条を変えたいのだ。
米軍立川基地はその後、日本に返還された。本書には、砂川闘争の現場が現在、市道の歩道となっている写真も添えられている。短期的に見ると権力は強力で狡猾に見えるかもしれない。しかし歴史的に見ると、国民の憲法に基づくたたかいは不断に続けられている。それを象徴する写真だ。本書は、日本社会を表層ではなく、深いところから捉える筆者の視点が貫かれている。
母には優しい兄がいた。戦争から帰ってきた後、酒に溺れるようになり、若くして亡くなったそうだ。母は戦争について話さない。心の奥底にしまいこんだ母の思いが形となったのが憲法だと思う。
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