米国に抗い続けた革命家の「イチ」

2017年1月号 連載 [ひとつの人生]
by 和田昌親(日本経済新聞社元常務取締役)

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フィデル・カストロさん

フィデル・カストロさん

キューバ前国家評議会議長

(享年90)

このところフィデルは車椅子に乗っていた。2016年9月、安倍首相が訪問した際、突然すくっと立ち上がり笑顔で応じた。「私腹を肥やさず、階級をつくらず、極貧を救う」――最後まで礼儀と規律を重んじる革命家だった。06年に病に倒れて10年目、時代の残照が映し出す大きなシルエットがとうとう消えた。

仇敵米国と54年ぶりに国交回復したことはフィデルには“拍子抜け”だったのではないか。

キューバ「粘り勝ち」の兆候は見えていた。13年末、マンデラ・南アフリカ元大統領の葬儀で、オバマ米大統領がフィデルの弟ラウル・カストロ国家評議会議長のもとに駆け寄り“世紀の握手”を交わした。フィデルは瞬時に反応し「よくやった」とコメントした。オバマ氏が「孤立化政策は機能しなかった」と失敗を認めたから、経済再建に苦しむキューバにとっては「渡りに船」だった。

キューバで最も人気のある外国映画は今でも勝新太郎の『座頭市』(現地名はイチ)だ。盲目の居合い剣士「イチ」の姿が、革命を成功させた若きフィデルのイメージと重なるからだ。その劇画的清々しさに貧者たちは雀躍し、拍手を送った。

92年、史上最大級の国連環境会議「地球サミット」がブラジルのリオデジャネイロで開かれ、フィデルが会場に姿を現すと、100カ国近くの国家元首の多くが臆面もなく“追っかけ”た。

90歳までよくぞ生き抜いた。53年の反政府蜂起に失敗、法廷で「歴史は私に無罪を宣告するであろう」と言い放ったのは有名だが、殺されずに裁判に持ち込まれたこと自体奇跡であった。

幸運はさらに続く。突然の恩赦でメキシコに亡命、アルゼンチンの青年医師チェ・ゲバラらと出会う。意気投合した彼らは小型船グランマ号に定員の10倍近い82人が乗ってキューバに再上陸し、ゲリラ戦を展開する。

革命成功後、米国に行き経済支援を要請するが、「ゴルフ中だ」とアイゼンハワー大統領に冷たくあしらわれる。当時のフィデルは社会主義者ではなかったが、それを見抜けず旧ソ連側に追いやったのは米国の「幼稚な失態」と言わざるをえない。

61年に就任したケネディ大統領は、キューバのミサイル基地を発火点とする旧ソ連との核戦争を未然に防いだことになっているが、もっと早くフィデルを支援していればキューバ危機は起こりえなかった。

キューバは旧ソ連や中国とは違う世界唯一の「陽気な社会主義」を実現した。最下層を飢えから救う一方で、富裕層には耐乏生活を強いた。フィデルは「出たい奴は出て行け」と亡命を黙認したが、その中には自分の妹フアニータもいた。

16年4月の党大会で、肉声を久しぶりに聞いた。伸びた白ヒゲをさすりながら「長生きできたのは運のなせるワザだ。近く死期を迎えるが社会主義の理想は残る」と静かに語りかけた。

フィデルは無類の野球好きだった。米大リーグのイチローを「最高の選手」と絶賛したのは、あの「イチ」を思い出したのかもしれない。

   

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