「強制の痕跡」掘り起こす力作
2016年10月号
連載 [BOOK Review]
by 佐高信(評論家)
必要があって、レニ・リーフェンシュタール監督の映画『民族の祭典』を観た。ヒトラーがナチの力を誇示するため、1936年に開いたベルリン・オリンピックの記録映画である。
その中で、男子マラソンで優勝した孫基禎について、アナウンサーが、「日本の孫、日本の孫」と、繰り返している。
1910年に日本は朝鮮を統治下に置き、コリアンは日本人とされたから、孫も、そして銅メダルを獲得した南昇龍も、日の丸をつけて走らざるをえなかった。しかし、それは彼らにとっては屈辱だったのである。
こうした支配の歴史を忘れさせようとする力が安倍(晋三)内閣になって特に大きくなっている。それに抗して、著者は植民地出身者に加えた強制の痕跡を懸命に掘り起こす。
「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という談話を安倍は出したが、「支配され、強制された」側にすれば、それは「虫がよすぎる上に、お門違いだろう」と著者は斥ける。
そして、骨と碑を追い続けたのである。ある意味で、これは要約を許さぬ本だが、たとえば長野県南端の旧南信濃村で戦時中、小さなダムの突貫工事があり、朝鮮人労働者が動員された。厚生省記録で、のべ938人、うち逃亡428人、死者4人。
草むらに石があり、半世紀が過ぎたいまも、地元の人は「あれは連行されて死んだ朝鮮人の墓」と覚えているという。
現副首相、麻生太郎の先祖の麻生炭鉱も「圧制ヤマ」といわれたほど労務管理がきつかった。
1936年1月25日に、福岡県の麻生吉隈炭鉱で火災事故が起こった。「坑内に火が回ったら爆発するぞ」という声に押されて、坑口が粘土で塞がれる。中にいるのは大半が朝鮮人飯場の坑夫と分かった。3日後、粘土を取り除くと、遺体が方々で折り重なっていた。壁をかきむしったらしく、何人もの生爪が剥がれている。
「日本人や経験が長い者は逃げ道を知っている。事故に遭ったのは、新山(新参者)が多かったんだろう。朝鮮人は女子より賃金が安いし、皆が行きたがらない危ない坑道へ回された。一番深い場所に行かされて連絡もできない」
こうした証言をきちんと積み重ねてこなかったから、「善い朝鮮人も悪い朝鮮人も皆殺せ」とか、「朝鮮人は朝鮮へ帰れ」とかの恥ずべきヘイトスピーチがはびこることになってしまったのだろう。
朝鮮人の特攻の問題まで含めて、著者のこの試みこそが忘却に対する抵抗である。忘れさせようとする力やデマゴーグに、著者はあくまでも事実の掘り起こしで対抗しようとしている。
(敬称略)