戦後史の「異端児」の全身像

『猛牛と呼ばれた男――「東声会」町井久之の戦後史』

2009年4月号 連載 [BOOK Review]
by 石

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『猛牛と呼ばれた男――「東声会」町井久之の戦後史』

猛牛と呼ばれた男――「東声会」町井久之の戦後史
(著者:城内康伸)


出版社:新潮社(1600円+税)

本名・鄭建永(チョンコンヨン)、1923(大正12)年、東京・西新橋生まれの在日韓国人二世。そうした出自に関心を寄せる前に、町井久之といえば大方の日本人には、力道山と親しかった暴力団・東声会のボスとして記憶に残っているはずだ。

戦後間もなく、愚連隊を率いて銀座に進出、住吉一家などと抗争を繰り返して勢力を拡大。高度成長期の60年代に東声会を率い、1500人もの構成員を抱えた。山口組三代目組長、田岡一雄と兄弟分になり、右翼の大物児玉誉士夫の側近としても暗躍した。

愚連隊、ヤクザ、右翼のフィクサー。町井に貼られたレッテルは反社会的なものばかりだが、中日新聞外報部次長である著者は、そうした側面も含めて、戦後史の光と闇を生きた一人の男を描こうと試みた。本誌06年10月号から短期連載した「六本木ペニンシュラ」が、この本の原型になっている。

未亡人をはじめプロ野球選手・張本勲ら日韓両国の多くの関係者の証言を基本に、町井の残した日記や手紙なども駆使して、在日韓国人、実業家、あるいは日韓親善への貢献など、町井の全身像を再現してみせる。また少年期からの絵画への関心、靴ひもの左右の長さが1ミリでも違うと我慢ができない潔癖性など、個人的な側面にも触れている。

町井は戦後、民団中央本部顧問、在日本大韓体育会中央本部会長などを歴任したが、在日朝鮮人社会で名を成すもとになったのは暴力であり、反共思想だった。終戦直後、共産主義者指導の在日本朝鮮人連盟(朝連)に反発して朝鮮建国促進青年同盟(建青)が結成されると、町井は建青の武闘派として、朝連との抗争に明け暮れる。

その後、朝連が発展して朝鮮総連が結成されると、東声会を組織した。これも「東洋の倫理思想を中心とした青年組織」結成をとの声に応えて、朝鮮総連に対抗する右翼団体として立ち上げたのだという。

やがて日韓両国の政財界と結びつき、日韓国交回復や関釜フェリー運航にも力を貸し、東亜相互企業を設立、実業家として歩み始める。六本木に会員制クラブの拠点TSK・CCCターミナルビルを建て、著名なゲストを招くなど絶頂期を迎えるが、児玉のロッキード事件での逮捕、那須・白河高原開発の失敗などで会社は倒産、町井も表舞台から姿を消す。

敗戦の混乱から高度成長へと向かう日本の戦後史、冷戦構造下の朝鮮半島と日本、両国の間でうごめく政治家らの思惑。そうした歴史と時代に翻弄されつつ、徒手空拳で活路を見出そうとした男。町井は戦後史が生んだ異端児だったのかもしれない。

著者はエピローグの最後に、元東声会幹部の言葉を紹介し、同感の意を示している。「あの人はそろばんをはじけるような人間じゃないんだよ。ヤクザ、『韓国』までで止めておけばよかったんだ」

祖国や同胞への熱情に基づき、利害得失を考えずに行動する男といいたいのだろうか。だが、残念ながら読了して残るのは、暴力の強烈なイメージばかりである。生前、「自分のやってきたことを決して表に出すな」と厳命したというが、この本でも、堅い沈黙の殻は残ったようだ。

著者プロフィール

   

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