『戦慄の東大病院』 著者/坂本二哉 評者/南淵明宏
2026年5月号 連載 [BOOK Review]
東大医学部付属病院の医師らが逮捕、起訴される汚職事件が昨年以降、2件起きたが、本書を読むと、東大医学部と附属病院でなぜ不祥事が続いたのかがよく理解できる。
日本で最も偏差値の高い東大医学部の卒業生は「鉄門」出身者と呼ばれ、医学界で別格扱いされてきた。著者の坂本二哉(つぐや)・東大健康管理センター元教授も鉄門同人だが、東大医学部入学後、氏は鉄門の体質に反発し、「東大卒の東大嫌い」になっていった。
理由は鉄門の「非常識」にある。国民は「医師は患者を診療するのが仕事」と思っている。だが、受験エリートの集団である鉄門の面々は「診療は片手間か二流がやること」と考えている。「優秀な医師は研究に専念すべき」というのが鉄門の常識なのだ。
鉄門の診療軽視は東大医学部の教授選考にも表れていて、東大では診療に熱心な医師は教授になるのは難しい。東大教授の選考が論文数にかかっているからだ。
症例集めに手間暇がかかる臨床に関する論文は2年に1本書くのがせいぜい。一方、動物実験論文は年に4、5本量産できる。必然的に動物実験ばかりであまり診療をしない医師が東大の教授に選ばれやすく、在職中に一度も患者を診察しなかった東大の内科教授もいた。
坂本氏は診療軽視という東大の風潮に徹底的に逆らった。先輩教授や学会の執拗な妨害をはねのけて診療第一主義の日本心臓病学会を設立し、創設理事長としていまも後輩の診療能力の向上に努めている。反逆者故に東大教授になったのは同期の最後だった。
私が坂本氏と初めて会ったのは1988年頃。「東大の偉い先生が聴診器による診察の重要性を話してくれる」というので駆け出し医師だった私は講演を聞きに行った。
坂本氏には偉ぶったところがまったくなく、聴診器一本で多くの病気を見つけてきた「聴診器人生」を巧みな話術で話した。患者の病気を見つけ手術などで治す医師の仕事は一種の職人。坂本氏の「職人としての生きざま」に私は共感を覚えた。
その後、私は医療界の様々な問題についてメディアで厳しく批判するようになった。ある日、勤務先の病院を辞めて落ち込んでいると、たまたま坂本氏にお会いする機会に恵まれた。坂本氏は私を励ました。
「君は有名だから敵も多いだろう。矢玉も飛んでくるだろう。でも鳥が高く飛べるのは空気の抵抗があるからだ。だから抵抗を受ければ受けるほど君はどんどん高く飛べるんだよ」
この励ましのお陰で、私は元気百万倍になった。
坂本氏は、私が昭和医科大学横浜市北部病院循環器センター教授になったときにも、わざわざ手紙を下さり励ましてくれた。有り難かった。だから本書の帯の推薦文を出版社から頼まれると喜んで引き受けた。帯の「偏差値エリートの『お医者さんごっこ』の無法地帯だ!」という一文は本書を読んだ私の正直な感想である。
坂本先生は今年96歳になられる。患者の治療に生涯を捧げてきた大先輩の貴重な「遺言」とも言える一冊である。
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