竹中宣雄(ミサワホーム新社長)
2008年8月号
連載 [CHALLENGER]
by M
「あの竹中平蔵さん(慶應大教授)のお兄さん」と紹介されるのに少しうんざりしているようだ。が、顔つきも、小柄な体も、巧みなスピーチもイメージがダブる。ただし、弟ほど派手じゃない。シャイなほうだ。
1948年和歌山生まれの60歳。法政大学社会学部を卒業し、72年に急成長企業のミサワホームに入った。長野・松本での新人時代、3年半で100棟売ったのは今や語り草だ。39歳の若さでディーラーの代表取締役店長に就任。その後、ミサワホーム青森(現・東北ミサワホーム)の代表取締役店長時代に、営業マンと設計担当が一組になって顧客を開拓する「竹中方式」を発案。それが「チーム営業」として定着している。座右の銘は「走れ!(Do Run!)」。走っている姿は誰からも好感をもたれるから、という。いかにも熱血営業マンらしい。
カリスマ創業者の三澤千代治社長(当時)の目にとまり、92年に本社の営業企画部長に抜擢された。三澤氏から「どんなに出来の悪い家でも売るのが営業だ」とプロ根性を叩き込まれたという。「竹中君は営業のプロ。五本の指に入る後継者候補だった」と、三澤氏もその力を認める。
2002年ミサワホームは売上高を上回る5800億円もの有利子負債を抱え経営危機に陥る。メーンバンクのUFJ銀行(現・三菱東京UFJ銀行)から3千億円の金融支援、04年に産業再生機構の支援とトヨタ自動車などの出資を受けて、倒産を免れた。カリスマ創業者は去り、三和銀行出身の水谷和生社長(現会長)のもとで事業再建を進め、今年3月末の有利子負債をピーク時の10分の1に縮小した。銀行出身の水谷氏から生え抜きの竹中氏へのトップ交代は、ミサワの財務リストラが完了し、健康な体に戻ったことを、世の中にアピールするものだ。
竹中氏は就任早々、「ミサワは創立40周年を迎えたが、絶対的コンサートマスターのもとで同じビジネスモデルにとどまってきた。まずはポートフォリオの見直しから手をつけたい」と、カリスマ創業者からの脱却を宣言した。
今期からスタートする新中期経営計画では、注文住宅への依存を改め、これまであまり熱心でなかった都市部の分譲、賃貸事業に力を入れる。リフォーム、シルバー事業の営業部員も増やし、事業収益の多角化を図る考えだ。
「市場環境は予想以上に厳しく平坦な道のりではない」(竹中氏)が、中期計画最終年度(10年度)には、連結売上高4400億円、営業利益145億円の再成長をめざす。
住宅を軸に「“熱湯経営”で多角化に成功した大和ハウスの樋口(武男会長)さんに学びたい」「日本は人口が減る。いずれは海外に出て、若い人に夢を与えたい」と抱負を語る。
竹中氏が収益回復とブランド強化を重視するのは、筆頭株主のトヨタ自動車(系列のあいおい損害保険の持ち分を含め約20%保有)を意識しているからだ。
トヨタの住宅事業、トヨタホームを担ったのは創業家の豊田章一郎名誉会長であり、ミサワへの出資には、トヨタホームとの統合による事業強化の狙いがあった。トヨタはミサワに役員2人を派遣し、竹中氏と社長の座を争った中神正博専務はそのうちの一人である。しかし、トヨタは住宅事業の一体化を急がず、ミサワの再成長を見守る構えだ。
ミサワは全国に50万棟の入居者を抱え、現場に精通した生え抜き社長の誕生に社内の士気も大いに上がった。さらに「日本一有名な弟」を持つ社長の登場はミサワ・ブランド再構築のプラス要因。新社長の「走る」姿が話題を呼ぶはずだ。