「大局の責務」を知る男

2008年5月号 連載 [CHALLENGER]

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富士通が社長交代を発表したとき、同業他社が最も注目したのは、誰が次のトップになるかではなく、現社長の黒川博昭が相談役に、会長の秋草直之が取締役相談役にそれぞれ退くという人事であった。「会長ポストに居座ろうとした秋草に対して、黒川が刺し違えて両者退場となった」。そう解説する向きが少なくなく、人事抗争を囃し立てた。しかし黒川の人となりを知る人からすれば、今回の人事は驚くにあたらない。黒川の口癖は「なりたくて社長になったわけじゃない。いつでも辞めてやる」。もともと地位にしがみつくタイプではない。あっさり身を引くのが「黒川らしさ」なのである。

一方、秋草は格好よさが身上。黒川が完全引退するのに、自分が残れば世間からどう見られるかがわかっていた。だから後任会長になる間塚道義に対外活動を引き継ぎ、1年後には取締役を外れて、これまた完全引退するつもりだ。両者に大した葛藤はなかったと見るのが正しかろう。

権力闘争を勘繰る外の雰囲気をよそに、富士通社内ではポスト黒川が意外にも野副州旦(のぞえくにあき)(60)だという点に関心が集まる。記者会見で自らを「根なし草のようなキャリア」と評した。持ち場を転々としたため「背番号」とか「畑」がない。だから「彼はうちの部門からトップになれた」と、訳知り顔で語る者もない。

野副とはいったい何者なのか。富士通にはかねて霞が関や永田町、あるいは欧米でロビー活動をする特殊部隊がある。その部隊のトップを務めた男が野副なのである。

1980年代、富士通が米IBMと特許をめぐって争った際、ワシントンで積極的なロビー活動を展開。さらに、米半導体メーカーの旧フェアチャイルドの買収を画策し、結果的に頓挫したときにも実務担当者として働いた。秋草が社長時代の2001年、富士通傘下のインターネットプロバイダー、ニフティをソニーに売却しようとしたことがあったが、その交渉役も担った。この辺りから経営トップの覚えがめでたくなった。

03年に社長に就いた黒川は、それまで2期連続で1千億円単位の最終赤字を計上し、瀕死の状態にあった富士通の再建に着手。最大の課題とされた情報システム構築部門の立て直しを野副に命じた。

顧客企業の情報システムを作る、いわゆるソフト・サービス部門は富士通の稼ぎ頭だ。ところが、曖昧な契約で仕事を始め、相手の言いなりで追加発注を受けるうちに、気がつけば赤字プロジェクトになっている。そんなどんぶり勘定のビジネスが罷り通り、ともすれば一つのプロジェクトで100億円単位の損失を出すような弊習に染まりかけていた。

野副はソフト・サービス部門の経験もないまま乗り込んで再建を図った。厳密な契約を結び、採算を月次で把握できる仕組みを導入、赤字プロジェクトの撲滅を成し遂げた。部門内では「ゲシュタポ」と呼ばれることもあったが、気がつけば「年間2千億円の営業利益をコンスタントに上げられる体制にした」(幹部)のである。自らを「根なし草」と卑下しながら、常に大局を見据えて仕事をしてきた。ITバブル崩壊後、「明日こそ倒産か」と噂された富士通。黒川は社内に体質改善を訴え続け、健康体に戻した。しかし、グローバル競争で生き残るには、黒川が言い続けた「すべてを顧客目線で」という精神論だけでは済むまい。

必要な事業を強化するべく果敢にM&Aを仕掛け、不要な事業は切り捨てる。そんな快刀乱麻を断つ経営者が不可欠である。富士通は大局の責務を知る男に将来を託した。(敬称略)

   

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