山一「場末社員」が突き止めた新事実

『しんがり 山一證券 最後の12人』

2013年12月号 連載 [BOOK Review]
by 仁張暢男(元山一證券常務)

  • はてなブックマークに追加
『しんがり 山一證券 最後の12人』

しんがり 山一證券 最後の12人
(著者:清武英利)


出版社:講談社(1800円+税)

渦中にあった自分の会社のことなのに、あたかも他の会社で起きたことのように思える。

ある日突然、会社崩壊をニュースで知らされる。普通、考えられないことだろう。だが、衝撃的なその体験を起点としてどの方向に歩きはじめるかで、自分の人生の目的を改めて見出す人がいる、ということをこの本は教えてくれる。

山一證券は1997年に2600億円の簿外債務が発覚して自主廃業に追い込まれた。その債務隠しの究明にあたったのが、嘉本隆正元常務(社内調査委員長)だったが、苦しい社内調査の過程でこんな言葉を漏らしている。「目の前を行く人達は明日も行く会社がある。それにひきかえ、自分たちは間もなく通うところさえなくなる。自分が知っていたのは山一という狭い電車の中だけだった。いや、その山一のことさえ本当は知らなかったのではないか」

会社に勤めることで、給料が自動的に振り込まれ、ゴルフをしたり、焼鳥屋でぐちを言い合ったりする生活。それを支える会社は、入社して時間が経てば経つほど空気のような存在となっていく。自分の生きる目的は、次第に分断され、日々の一杯の楽しみで置き換えられていくのが、サラリーマンが経験していることだと思う。

社内の戦友意識とは対照的に、会社にはネガティブな面が存在する。裏切り、責任転嫁、妬み、保身……。それは会社の危機という場面で、何を行動の指針に置くかで、その人の本性と共に現れてくる。山一の破綻でも、失うものが多い人に限って危機に弱かった。責任を取ろうとしない者もおり、悲しい人間の脆さを教示していた。

山一の破綻時に「しんがり」として、土壇場の社内調査や清算業務に力を発揮したのは自ら「場末」と呼んでいた社員たちだった。それは、会社に干された人たちが、決して無能というわけではないことを物語っている。会社での評価など一時的な判定に過ぎないのだ。会社で一時的に恵まれなくても、「それは悲観すべきことではない」とこの本は語りかける。

この本の著者も決して安穏としたサラリーマン生活をしてきたわけではないので、山一證券で「破綻原因究明」と「清算業務」という厳しい道を選んだ人々の行動に興味が湧いたのに違いない。そしてその経験が、本来寡黙な12人の口を開かせ、役員であった私でさえ知らない新事実が赤裸々に語られている。失ったからこそ得られる別次元の満足、生きている実感を、筆者を含む13人の人たちは得たのではないだろうか。

会社員生活は、短い時間ではない。だから居心地のよさにかまけて、自分の存在価値を見失ってはいないだろうか。そんなことを強く考えさせられた。

著者プロフィール

仁張暢男

元山一證券常務

   

  • はてなブックマークに追加