特別寄稿 「敗因は三つ」自然体にリセット/辻元清美/前衆議院議員

自分の中に潜んでいた「驕り」と「有権者の意識とのズレ」と「大阪の地域事情」に足元を掬われた――。

2022年2月号 POLITICS

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■つじもと・きよみ

1960年生まれ。早大教育学部卒業。1996年衆院初当選(通算7期)。歴代首相との丁々発止の国会論戦は語り草である。2017年女性初の国対委員長(野党第一党)、立憲民主党副代表などを歴任。昨秋の衆院選で落選。

「ここで立ち止まって自分のありようを見つめなおしなさい」という有権者の声が、厳しい審判=落選が決まった瞬間、聞こえたような気がしました。

最大の敗因は、自分の中に潜んでいた「驕り」と「有権者の意識とのズレ」と「大阪の地域事情」にあったと思っています。

私は、女性初の国対委員長として仕事を重ね、その集大成の選挙にしようという思いが、いつの間にか「驕り」になっていたのではないかと思います。

また、野党第一党として立憲民主党が「政権交代を実現する」と訴えたことが、有権者のみなさんの意識とズレていたのではないでしょうか。大半の方々の意識は、「与野党伯仲にして、健全な議論ができる議会を実現してほしい」こんな感じだったのでは――。「いきなり政権交代? 非現実的なことを言っている」とかえって信頼を損ねてしまったのでは、とも感じるのです。

「政治サイボーグ」の鎧

「辻元さんが落選して驚いた」と今も言われます。そこにも敗因があったように思います。「辻元さんは大丈夫」と言われるたび「それが怖い」とヒヤリとしていたのですが、最後まで危機感を伝えきれませんでした。

大阪の選挙は難しい選挙です。大半の選挙区では立憲民主党や野党統一候補者と自民党の候補者との一騎打ちで、自公政権の審判が争点でした。

しかし大阪10区では、政府・与党ではなく、維新と戦う選挙でした。維新の候補者も吉村大阪府知事らも、大動員された地方議員らも、自公政権には触れず、党をあげて徹底した立憲民主党批判と私への個人攻撃を展開。大阪10区を落とせば、「大阪の全選挙区制覇」と集中攻撃をかけたといわれています。

自民党や立憲民主党は自分の持ち味で勝負する「個人商店」的な候補者が多いのですが、維新は「フランチャイズ店」的な展開で選挙に臨んでいるように見えます。候補者はみな同じ緑のポスターを作り、「身を切る改革」と叫ぶ、ブランドイメージで選ばれる傾向が強いのです。

そして、ターゲットをしぼったら、党をあげて組織選挙を展開します。例えば吉村知事が「辻元さんも国会議員のボーナスをもらっているんですよ」と聴衆を煽り、「辻元は反対ばかり」というキャンペーンもはられました。

私はこれまで、おかしなことには徹底的に立ち向かってきました。行政府の問題を糾すのは立法府の大事な役割です。政治の私物化や権力者の顔色ばかりを見る「忖度政治」が広がれば、必ず国民にツケがまわる―と私は独自調査でファクトを集め、歴代12人の総理大臣と激論を戦わせてきました。

一方私自身は、むしろ調整・実現型の政治を進めてきたつもりです。例えば国対委員長を務めた2年間、野党が分裂した中、法案の81%を賛成でまとめてきました。NPO法をつくったときは与党の大幹部宅を訪問して説得するなど、超党派議員立法にも力を注いできました。JAL再建や関空・伊丹の経営統合、ワクチンバス・タクシーの推進などでは、官僚の皆さんともチームで仕事をしてきました。ただ、テレビは激しい言葉の応酬が一番面白いので、そこを使います。そして切り取られた映像や言葉がネットで拡散され、「辻元は怒ってばかり」というイメージが膨らんでいきました。

大阪訪問中だった自民党の山崎拓元幹事長が応援に駆け付けてくれたことも、有権者の疑念を招いたと思います。選挙戦の中盤、維新のキャンペーンに対して「与野党を超えて仕事をしてきた議員だ」と証言しに来てくれたのですが、真意は十分伝わりませんでした。「元自民党幹部が応援に来るのはおかしい」と思った方もおり、こちらの伝えたいことだけが伝わると考えたことも、私の思い上がりでした。

今回ご投票いただいた66943票は、過去8回の衆議院選挙の中で3番目に多い投票数。期待に応えられない結果となりましたが、多くの気づきがありました。どうやら私は、政治家だから弱音を吐いちゃいけないと「政治サイボーグ」の鎧をつけていたようです。人々の生活実感から乖離し、嫌だったはずの永田町人間になっていたのかも知れません。今回、有権者のご審判で「自然体」にリセットすることができました。

「一生、みんなのために働く」

私はシングルで自分の老後や親の介護など不安を抱えて生きています。自分も含め将来不安で多くの人が悩む今、成長一辺倒は限界に来ているように思います。生活保護を受ける高齢者の介護ボランティアも始めたのですが、その現場から見ていると「万博」や「カジノ誘致」などが空しく見えてなりません。

ポストコロナの時代は、誰もが年を取ってもボチボチ生きていける持続可能な循環型の経済や社会にしなければ、多くの人が生き残れない。新しい生き方やそれを支える政治、人や社会への投資が大事だと身につまされています。

いま一番強く思うのは、次世代のために何ができるかです。今回の選挙では、10~20代の若い女性が声をかけてくれたり、チラシをわざわざ取りにきてくれたりすることが多かったのです。若い女性の「覚醒」で政治が変わる萌芽が見えたようでした。

夕暮れ時、駅で街頭演説していると「初めての選挙は辻元さんに投票します」とお手紙をくれた女子高生もいました。団地の真ん中でポツンと訴えていると「清美チャンネル登録してるよ」と声をかけてくれる中学一年生の男の子にも出会いました。

私は学生時代に仲間4人とピースボートを始めました。いまでいう社会的起業ですが、要は「好きなことを仕事にしたい」。1回数億円かかる事業を後ろ盾もない私たちがやれたのは、「若者を応援しよう」という大人たちの協力も大きかった。社会ももっと寛容でした。

でもいまの若者たちは本当にきつい。次の世代のため、社会を立て直したい。それは私たちの世代の責任だと思っています。選挙を通じて感じていた気持ちは、ますます強くなっています。

過去に私は、議員辞職も経験しています。あの時は、もう2度と自分は人前に出られないのでは、と心が折れそうになりました。しかし、地元だけではなく全国の多くの方々の叱咤激励とお支えで国政復帰でき、生き返らせていただきました。

「一生、みんなのために働く」。あのときの決意は、今もゆらいでいません。

   

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