「風蕭蕭」

コロナはただの風邪ではない

2020年8月号 連載 [編集後記]

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湯浅祐二・永寿総合病院院長

「入院なさっていた多くの患者様が御身内の方々との面会もできない中でのご逝去となりましたことにつきまして、患者様のご冥福を心よりお祈りするとともにご家族の皆様に深くお詫び申し上げます」

(湯浅祐二・永寿総合病院院長、7月1日、日本記者クラブの会見で) 4月24日、係の男性が、女優の岡江久美子さんの遺骨が入った箱をご自宅の玄関先に置き、深々と一礼して立ち去った。その後、ご主人の大和田獏さんが現れ、遺骨を胸に抱き、集まった報道陣に「こんな形の帰宅は本当に残念で、悔しくて、悲しいです。みなさまもお気をつけ下さい。それが遺された家族の願いです」と語った。

その映像を見て、恐怖というより、やるせない気持ちに包まれた人は少なくないだろう。

未知の感染症で死ぬとはこういうことなのである。家族に看取られる、知人に別れを告げられるというあるべき段階を踏まない。すなわち遺される者に対し心の整理を付ける時を与えずある日突然逝ってしまうことなのだ。

得体のしれないものへの慄(おのの)きは人間のおぞましさも呼び起こす。職員に83人の陽性者が出た永寿総合病院では、自宅待機となった感染病棟スタッフに代わり、他部署の看護師たちが完全防護服を着て、慣れない看護業務に当たった。事務系の職員も連日、リネンを病棟に届けた。減員となった清掃スタッフに代わって清掃作業に当たったり、不足し始めた「袖付きガウン」と呼ばれる防護着を手作りしたりもしたという。

湯浅院長によれば、そんな職員に対し、子供の通園・通学や家族の出勤を拒んだり、アパートから退去させたりするなど、「心の痛む事例」があったという。

「コロナはただの風邪だ」という人が増えてきた。私は以上のことだけでも、「ただの風邪だ」とまだ言えないでいる。

   

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