老施協「子分理事」見せしめ一掃

中村博彦元参議院議員が造り上げた王国の手下を一斉放逐。診療・介護報酬削減の前兆だ。

2017年6月号 LIFE

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全国老人福祉施設協議会は、清和政策研究会(かつての森派、現細田派)と同じ永田町のビルに入っている。

「ヒロヒコの亡霊が出たな」

西日本で20年以上特別養護老人ホームを運営する社会福祉法人幹部はこうつぶやいた。

「不適正『飲食』、銀座で『会議』3300万円」。4月20日、毎日新聞のスクープは老人福祉業界をどよめかせた。

全国の特別養護老人ホーム(特養)など1万5千施設が加盟する公益社団法人「全国老人福祉施設協議会」(老施協)の役員らが、銀座の飲食店での飲み代を「会議費」として会計処理するなど不適正な支出を繰り返し、内閣府の公益認定等委員会から「不適正」と指摘を受けた。

29人いる理事のうち、28人が辞任する見通しという前代未聞の大不祥事。不適正とされた支出の総額は、2013年度から16年度の途中までで、約3300万円に上るという。

老施協は、特養と医療の連携に関わる国からの補助金を、14年度は2200万円、15年度も820万円受けていた。また、同団体は国から補助金や介護報酬を受けて運営する特養やデイサービスを運営する事業所からも多くの会費を集めていた。

つまり、役員の飲食代金の原資には、我々が支払う多額の税金が含まれている。

冒頭に出てくる「ヒロヒコ」とは、同団体の元会長でドンと呼ばれた中村博彦元参院議員(13年7月死去)のことを指す。

今回、不適正とされた飲食代金には14年7月、同団体の会長だった中村氏の一周忌に当たる、「偲ぶ会」での役員の飲食代も含まれていた。この日、参加者が払った会費は12万円。だが、老施協は、その他にかかった54万円分を「会議費」として処理し、また、二次会の銀座のクラブ代も、11人分計55万円をやはり「会議費」に含めたという。

教師から「四国のムネオ」に

関係者によると、老施協は、国の老人福祉予算の恩恵にあずかる業界団体でありながら、もともとカネの使い方がずさんで公私混同だと指摘されてきた。その体質は、老施協の会長を1999年から10年間務めた中村氏から受け継がれたものという。今回の問題の責任を取って辞任する石川憲会長は、中村氏の後に会長を務めた中田清・前老施協会長と共に「中村氏の一の子分」といわれた。

中村氏は、徳島県の高校教師から県議会議員に転じた変わり種で、その後、森派(現・細田派)の国会議員になった。森喜朗元首相とは昵懇の仲で、13年9月、東京都内で開かれた中村氏の「惜別の会」では森氏が「自民党が(政権に)返り咲いた今こそがんばってほしかったと残念の極み」と追悼の辞を述べた。

中村氏の死去翌日の地元紙には「高齢者福祉に尽力」「介護制度のリーダー、『早すぎる』関係者惜しむ」とかなり好意的な見出しが躍ったが、毀誉褒貶も多く、永田町関係者の間では「四国のムネオ」と呼ばれたこともあった。

「ムネオ」とは鈴木宗男・元官房副長官のことだ。

「ムネオさんがかつてしていたように、国であれ、地方であれ役人を恫喝して業界が要望する予算を取ったりする典型的な利益誘導型の政治家だった」(森派関係者)。北海道出身である鈴木氏に対抗する意味で、「四国の」と呼ばれていたわけだ。

国会議員200人を「応援」

その中村氏が老施協の会長に就いた99年は、まさに00年から始まる介護保険制度の幕開け前夜だった。90年代後半まで老施協は福祉を目的とした施設の団体らしく、老人福祉の在り方を希求するような純朴さを持ち合わせていたが、中村氏が会長になると一変したという。

中村氏を知る関係者によると、「国と戦える業界団体でないと予算を取れない」「老施協を日本医師会のようにする」が中村氏の口癖になり、やがて「老施協から国会議員を輩出する」と言い始めたという。

本当の狙いは自身が国会議員になることだった。同氏は69年、72年と衆院選挙に出馬し、県議だった90年にも出馬したが、いずれも落選した。

4度目の正直というべきか、老施協会長の立場を生かして森氏に近づいて自民党の公認を得、04年の参院選挙でようやく初当選を果たした。その後、参院厚生労働委員会理事を務めるなど主に厚労畑を歩いたが、一方で利益誘導まがいの行動が厚労省幹部から嫌われたという。

厚労省元幹部によると、介護報酬を決める3年に一度の報酬改定の前になると、国会議員の立場を使って厚労省の官僚を森派の会合に呼びつけたり、議員事務所で恫喝したりして、老施協に有利な計らいをするよう要求していたという。

中村氏には介護事業者としての顔もあった。徳島で社会福祉法人「健祥会」「緑風会」を運営。

93年から02年まで徳島県知事を務め、業際研事件にからんで収賄罪で逮捕された圓藤寿穂知事時代には、知事との蜜月関係を利用し、知事に権限があるホーム開設の許認可を得て、地元・徳島県に次々と自分の社福が運営する介護施設をつくった。

二つの社福のホームページを見れば60近くの施設を長男が引き継いでいる。自ら牛耳る業界に税金を誘導したのは果たして「政治家」への執着だったのか。13年には全国紙で「(中村氏は自分の)介護事業所を選挙事務所に使っている」と報じられたこともある。

その中村氏の傲慢な体質は、子飼いの役員たちにしたたかに受け継がれた。中村氏が事務局となってつくられた介護福祉議員連盟には約200人の国会議員が参加した。

議連に名をつらねる国会議員の選挙を、税金が流れ込む特養を運営する社会福祉法人の理事らが応援するという癒着を前提に、13年に社会福祉法人の内部留保の多さが問題視されても議員らを動かして、高額報酬批判を押し返そうとした。

しかし、中村氏の死去後は、老施協の政治力はさすがに低下し、体質批判が一斉に噴き出した。残された頼みの綱は介護福祉業界を票田とする介護福祉族だが、もはや万事休すだろう。

「安倍首相ら官邸中枢が中村氏の体質をいまだに引きずる老施協の一新を図った」(元理事)。要するに老施協は、来年の診療・介護報酬同時改定で報酬削減必至の情勢を受け、「抵抗勢力への見せしめ」(政府関係者)に使われたのだ。

   

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