慶応義塾大学教授 井手 英策氏

分かち合い、満たし合う 「誰もが受益者」が対抗軸

2017年6月号 POLITICS [キーマンに聞く!]

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井手 英策氏

井手 英策氏(いで えいさく)

慶応義塾大学教授

1972年福岡県生まれ。東大経済卒(経済学博士)。日銀金融研究所、横浜国大などを経て現職。2015年『経済の時代の終焉』により大佛次郎論壇賞を受賞。「オールフォーオール」「不安平準化社会」を唱え、昨年から民進党「尊厳ある生活保障総合調査会」のアドバイザーを務める。

――民進党大会(3月12日)で「人間の顔をした政治」を訴える井手さんのあいさつに拍手が鳴り止みませんでした。

井手 昨年、前原(誠司)先生から「マニフェストや個別の政策ではありません。あるべき日本の姿、民進党の拠って立つ社会像、国家像を示すために、どうか力を貸してください」と頼まれ、前原さんを会長とする「尊厳ある生活保障総合調査会」のアドバイザーを始めました。

――「もう民進党はだめだ」と匙を投げる人が少なくない。リスクを冒して応援する値打ちがありますか。

井手 勝てる勝負、強い者の応援ならば、誰だってできる。が、そんなものは、僕にとっては何の値打ちもありません。一介の学者に向けられた政治家の熱い思いに応えよう。もがき苦しみながらも強い者に立ち向かおうとする民進党の皆さんと共に、国民が夢を託すもう一つの選択肢を作ることができる。こんなに愉快なことはありません。

――参議院予算委員会でも「誰もが受益者」となる「オールフォーオール」への発想の大転換を訴えました。

井手 時代が傍観することを許してくれません。日本の現状を見てください。現役世代への社会保障や教育サービスの給付は、主要先進国の中で最低レベルです。若い世代は必死に働いてお金を貯め、子どもの教育であれ、病気や老後の備えであれ、何とかしなければならない。まさに自己責任の社会を、僕たちは生きているのです。夫婦「共働き社会」になったのに、世帯収入はこの20年間に2割近くも減り、家計貯蓄率はほぼゼロになった。年収300万円以下の世帯が34%を占め、国民の9割が老後に不安を感じる、何とも見すぼらしい世の中です。

不幸のスパイラル「自己責任社会」

――「平等主義国家」と言われた日本で今、劇的に貧しい人が増えています。

井手 1997年から98年にかけて、日本経済の歴史的転換が起きました。それ以前は、人々は高い貯蓄率の中で将来の安心を手にしていましたが、98年以降は家計の貯蓄が劇的に下がり、国民経済計算レベルでマイナスになっています。

多くの先進国では教育や子育て、老後の生活に必要なサービスを、政府が提供してくれますが、日本は税金の負担が軽く、政府も小さいため、これらのサービスを自分のお金で買い入れないといけません。日本は貯蓄をしなければ安心できない社会を作る一方で、人々は貯蓄ができない状況に追い込まれているのです。賃金が下がると消費が減り、経済成長はいよいよ難しくなります。この「成長の行き詰まり」が「生活の行き詰まり」に直結する「自己責任社会」――。それが今日の日本の現状であり、人々の生きづらさの原因も、そこにあるのです。

――若い世代はますます火の車です。

井手 勤勉に働き、貯金を増やすことができた今のお年寄りは幸せです。当時(高度成長期)の日本は、先進国で最高水準の貯蓄率を誇っていましたが、実は小さな政府、不十分なサービスこそが、高い貯蓄率を生んだ最大の原因でした。貯蓄が成長を支え、成長が税収を生み、税収が減税に使われ、所得が増え、お金が貯まる、見事な循環でした。このモデルの前提は「経済成長」でしたが、90年代後半になると賃金が下がり始め、消費は減り、経済は長期停滞に陥りました。

成長率を高めるには労働力人口、労働者の生産性、国内の設備投資など、幾つかのポイントがありますが、どれも期待できない。そのことは潜在成長率が1%さえ超えられない現実からも明らかです。安倍政権は歴史に残る勇敢な経済政策を断行したけれど、物価は上がらず、GDP成長率もかつての民主党政権時代を超えられない。閉塞感は増すばかりです。さらに、3年後の東京五輪をピークに日本経済は大きく後ずさりするでしょう。

――不幸のスパイラルですね。

井手 そうです。経済を成長させて、人々の所得を増やして、貯蓄で安心を買うという自己責任モデルは、とうに破綻しているのです。ですから、アベノミクスへの対抗軸は、決して成長を競い合うことではありません。生活不安があらゆる人々を呑み込もうとしている今、自己責任の冷たい財政を作り変え、分かち合い、満たし合う財政にしていく。期待できない経済成長なんかに依存するのではなく、将来の不安を取り除けるような、新しい社会モデルを示してこそ、対立軸たり得るのだと、僕は思います。

「オールフォーオール」こそ切り札

――しかし、成長を前提にしない社会モデルで、将来不安を払拭できますか。

井手 参議院では、貧しい人に負担をお願いし、かつ豊かな人にもサービスを給付してもなお、あらゆる人々が痛みを分かち合い、互いに頼り合うことによって格差を小さくできるモデルを提案しました。中間層、富裕層を含め全員が受益者となり、全員で負担を分かち合うことより、誰もが安心して生きていける「不安平準化社会」を構築すべきです。人間が人間らしく暮らしていくためには、様々なサービスが必要です。お金持ちも貧しい人も、子育てや教育を必要としますし、誰だって病気になり、介護を必要とする可能性があります。その「人間に共通して必要なサービス」を、所得の多い少ないにかかわらず、提供するのです。

――税負担がのしかかる「大きな政府」になり、民間活力が失われませんか。

井手 我が国の税金による再配分効果は、OECD21カ国中、下から2番目です。日本の国民負担率(租税負担率+社会保障負担率)は44%と、仏67%、スウェーデン55%、独52%に比べて低い。仮に消費税率を15%に上げても「大きな政府」にはなりません。私が唱える「誰もが受益者」方式は、みんなの必要を満たし、受益感を高めながら、租税抵抗を緩和する戦略でもあります。税負担が増える代わりに、個人的な経費負担が軽くなり、万一、病気になっても、子どもの教育や老後のことを心配しなくてよくなります。不安に怯える国民が望んでいるのは、このパラダイムシフト。オールフォーオールこそ、格差是正の切り札なんです。(聞き手 本誌編集長 宮嶋巌)

   

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