追悼 安倍総理が遺した「攻め」の農政改革/元農林水産事務次官 奥原正明

――蒔かれた種を如何に実らせるか

2022年9月号 POLITICS
by 奥原正明(元農林水産事務次官)

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農林水産業・地域の活力創造本部で発言する総理(2019年12月10日)

Photo:Jiji Press

安倍元総理が凶弾により亡くなられ、経験したことのない深い喪失感にとらわれている。本当に残念であり、無念である。

外交・安全保障面での安倍元総理のリーダーシップは広く知られているが、農林水産業の分野でも強いリーダーシップを発揮されたことを、記憶にとどめていただきたいと思う。

ロシアのウクライナ侵攻で、食料安全保障に関心が向いてきたが、安倍元総理は、この問題を早くから意識されていた。私は、農林水産省の局長・次官として、安倍内閣の指示と指導の下に、農林水産政策の改革に取り組んできたので、このことを強く実感している。

安倍総理は、日本の農林水産業の現状を憂え、これまでの「守り」一辺倒の政策でじり貧になっていくのでなく、「攻め」の政策に転換し、農林水産業を成長産業にしなければならないとの強い思いを持っておられた。

しかも、地域農業の中核となっている農業経営者と農協の考えが大きく異なることなど、現場の状況を実に正確に認識されていて、総理に説明に行くたびに驚かされた。そして、改革の節目節目で、総理の改革方針を発信していただき、また、キーパーソンを説得するなどの手を打っていただいた。

安倍総理の揺るぎないリーダーシップがなければ、与党の中にも強い抵抗のある改革法案を成立させることは、とてもできなかったと思う。

どんな種が蒔かれたか

安倍総理の下で、法制面での改革は進んだが、まだ、それが世の中の実態を大きく変えるところまでは行っていない。安倍総理の遺志を継ぐとは、安倍総理の蒔かれた種をきちんと理解し、花を咲かせ、実をならせることだと思う。それには、どんな種が蒔かれたのかを確認しておく必要がある。

安倍内閣の農業政策は、農業の国際競争力を強化し、輸出を含めた成長産業にすることで食料安全保障を確立していこうというもので、そのために多くの改革法が制定された。

安倍農政改革の第1弾は、2013年の農地バンク法である。本気で農業に取り組む農業経営者のところに農地を集積・集約化することで、農業の生産性を高めようというものである。農地の集積・集約化は、農業の競争力向上の基礎中の基礎である。

日本は、戦後の農地解放で、多数の零細な自作農という生産性の低い農業構造を作り出してしまった。このため、現在でも数の上では兼業農家が多いが、法人経営や大規模な家族経営が着実に増加し、地域農業の中核となってきている。高齢化によって利用されなくなる農地を、こうした農業経営者のところに集積し、まとまった面積を利用できるように集約化するためのスキームが、農地バンクである。農地バンクが、所有者から農地を借りて、本格的農業経営者に転貸することで、時間の経過とともに、農地利用の最適化を図っていくという仕掛けである。

本格的農業経営者への農地集積は、進んできているもののまだ6割であり、8割程度を目指して加速する必要がある。

次は、15年の農協改革法である。農業を発展させるには農協組織の役割も大きい。農協組織自らの農産物販売や生産資材調達のビジネスモデルを時代に合ったものに改革していけば、農業者の所得も向上するはずである。このため、農協組織を農業者の自主的な協同組合という原点に戻し、それぞれの農協・連合会の経済活動を活性化させようというのが、農協改革法であり、農協を監査・統制している「農協中央会」(1954年に農協金融が破綻したときに導入されたもの)を強制力のないものに変えるなどの改革が行われた。

農協の経済活動の改善は少しは進んでいるものの、農業を成長産業にしていくためのビジネスモデルの改革と言えるようなものは見当たらない。

2017年の生乳改革も、農協改革の一環で、それまで加工原料乳の補助金は指定された農協組織(指定団体)に出荷しないともらえないという制度(指定団体への出荷の強制)だったが、これを改め、指定団体に出荷しなくても補助金がもらえるようにした。これにより、指定団体に、酪農家に喜んで出荷してもらえるように仕事の仕方を見直してもらい、乳製品の輸出拡大を含めて酪農乳業を発展させる経済活動を行ってもらおうというものである。

現在、乳製品の国際需給がひっ迫し、価格も上昇する中で、ニュージーランドのフォンテラ(酪農家の協同組織)は輸出を伸ばし、生乳価格を引き上げているが、輸出をほとんど行っていない日本では国内需給が緩和し、高騰する飼料コストを十分転嫁できないという、真逆の状況にある。生乳改革も成果は出ているとは言えない。

「食料安保」の道筋つける

米改革では、5年の準備期間を経て、18年から、行政による生産調整の目標配分を廃止した。国内需要に合わせて生産することだけを念頭に置いている内向きの発想をやめ、米の輸出拡大やそのための生産性の向上を図ろうというものである。しかし、農協等の内向き志向は変わっておらず、輸出の拡大にもつながっていない。

安倍内閣は、自給率向上につながる農産物輸出に力を入れ、19年の輸出額を1兆円にするという目標を設定した。この目標は、2年遅れて達成されたが、加工食品・水産物等を除くと農産物は3千億円程度に過ぎない。現在は25年2兆円、30年5兆円という目標が設定されており、農協・食品メーカー・商社等のさらなる努力が必要である。

林業については、18年に森林バンク法が制定された。我が国国土の4分の3は森林であり、戦後植林した森林が伐採期に来ているにもかかわらず、うまく活用されていない。こうした状況を打開するため、森林バンク法は、農地バンクと同様の考え方で、森林所有者が森林管理を市町村に委託し、市町村は意欲と能力のある林業経営者にまとまった面積を再委託することで、効率的な森林経営が行えるようにしようというものである。また、森林バンク法と歩調を合わせて、森林整備等の財源として、森林環境税も創設されている。財源の手当まで行われているにもかかわらず、実績は上がっていない。

水産についても、18年に水産改革法が制定されている。かつて日本は水産大国であったが、いまや、漁獲量は減少し、養殖は伸びず、生産性も低く、資源管理の問題が外国からも指摘されている。水産改革法は、これを打開するため、欧米並みの科学的な資源管理システム、漁船の大型化など生産性向上に資する漁業許可制度、水域を最大限に活用して養殖を拡大できる漁業権免許制度の構築を内容としている。

資源管理については徐々に進み始めているが、漁船の大型化や養殖の拡大は進んでいない。

このように、安倍総理のリーダーシップで、農林水産業を発展させ、食料安全保障を確保する大きな道筋はつけられている。関係者がこの道筋に即してスピード感をもって行動していくことが、安倍総理の蒔いた種に花を咲かせることになる。民主主義と権威主義の対立で国際秩序が著しく不安定化する中で、食料安全保障の確保を着実に進める必要がある。

著者プロフィール

奥原正明

元農林水産事務次官

   

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