2021年9月号 連載 [コラム:「某月風紋」]
1964年10月10日午後2時、旧国立競技場。五輪発祥の地である、ギリシャを先頭とする選手団の入場行進が始まった。週刊誌のルポルタージュのために、作家の開高健は開会式にいた。
「(編集者が調べた)数字が頭に浮かんでくる。オリンピック関係の工事で何人の人が死んだのかという数字である……。▽高層ビル(競技場・ホテルなどを含む)16人、▽地下鉄工事16人、▽高速道路55人、▽モノレール5人、▽東海道新幹線211人、合計303人」(『ずばり東京』)──この回を最後として、開高はベトナム戦争の取材に赴くことになる。
世界中の映画学校でドキュメンタリーの教材となっている、64年五輪の公式記録映画『東京オリンピック』(市川崑監督)は、入場行進のシーンを延々と30分近く映し出している。そこには、今回のような過剰な演出は一切ない。それでもDVDを観るたびに涙がこぼれる。
新たな参加国・地域数は15。戦後の五輪のなかで最も多かった。アフリカのなかで、開会式で英国保護領「北ローデシア」が閉会式では独立国の「ザンビア」になったように、独立国としての誇らしげな民族衣装の色彩が強烈だった。
アフリカはいまや、アジアと並ぶ成長地帯である。東西ドイツが統一旗を掲げたチームの行進をしたことは、未来を暗示していたというべきか。
作家の小林信彦さんは、東京の風景は、第二次世界大戦の東京大空襲と64年五輪によって変貌を遂げたと語っている。
TOKYO2020は何を変えたのだろうか。『FACTFULNESS』(ハンス・ロスリング著)が指摘しているように「世界はリベラルの方向に向かっている」ことを、日本人のすべてにわからせた。
森喜朗・前組織委員長や開閉会式の演出家の辞任は、LGBTQなど、リベラルの潮流に無知だったことが原因である。
(河舟遊)