政界で不遇かこつ「古古コンビ」

歴史的な国会決議「気候非常事態宣言」の仕掛け人。のたうちまわる政策通に注目。

2021年2月号 POLITICS
by 大西康之(ジャーナリスト)

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「古古コンビ」の古川元久氏と<古川禎久氏(左)/h4>

Photo:Jiji Press

菅内閣の支持率が急落している。NHKの世論調査では9月の発足時に62%あった支持率が12月には42%に落ちた。しかし野党への期待が高まっているかと言えば、最大野党、立憲民主党の支持率も上がらない。国難とも言えるコロナ禍の中、政治学者の片山杜秀は「この国の形(日本の統治機構)それ自体が崩壊する過程ではないか」と危惧する。政治のメインストリームが機能不全に陥る中、あえて希望を見出すとすれば、それは辺境にあるのかもしれない。政界で不遇をかこつ二人の政治家に注目してみた。

昨年10月26日に臨時国会が開幕。菅義偉首相は衆参本会議で初の所信表明演説に臨み、温暖化ガスの排出量について「2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現を目指す」とぶち上げた。カーボンニュートラルは欧州各国などが掲げているが、自動車を基幹産業とする日本では安倍政権の時代から思い切った政策が打ち出せないままだった。

コロナ対策が後手に回り、これといった看板政策を掲げられない菅政権が歴史に残る政策転換を打ち出したかに見えるが、首相自身の信念によるものではなさそうだ。唐突感のある菅政権の「脱炭素」には、実は伏線がある。衆議院は11月19日、参議院は翌20日に「気候非常事態宣言」決議をそれぞれ本会議で採択した。これこそ歴史的な国会決議と言える。決議文をまとめたのは「超党派『気候非常事態宣言』決議実現をめざす会」。共同代表幹事は自民党の鴨下一郎元環境相ら大物が顔を並べた。この決議を先取りする形でぶち上げたのが、菅首相の「脱炭素宣言」だったのだ。

名前が一字違いの同級生

そもそも超党派の宣言を仕掛けたのは、政界の辺境にいる二人の議員だ。一人は、19日の衆院本会議で決議の趣旨説明をした国民民主党国会対策委員長の古川元久(もとひさ)。もう一人は超党派議連の事務局長に就任した自民党の古川禎久(よしひさ)議員である。

古川元久と古川禎久。名前が一字違いの両議員は不思議な縁で結ばれている。二人とも生まれは1965年。元久は名古屋市の名門、旭丘高校、禎久は鹿児島市のラ・サール高校から共に東大法学部に進んだ。東大の入試は五十音順で席が決まるため、二人はこの時、初めて顔を合わせる。その年の受験生にはもう一人「古川」がいたが、この3人とも合格している。

在学中に20歳で司法試験に合格した元久は88年、大蔵省(現財務省)へ、禎久は建設省(現国土交通省)に入省する。しかし二人とも官僚の仕事が肌に合わなかったらしく、禎久は92年に建設省を退官。元久も94年に退官する。

96年の総選挙で旧民主党から立候補した元久は比例東海ブロックで初当選(現在は愛知2区・通算8回当選)。禎久は2度の落選を経て03年に宮崎3区から無所属で初当選(通算6回当選)、追加公認で自民党に入った。

名前も経歴も紛らわしい二人を世の人々はしばしば混同する。主に迷惑を被ったのは禎久の方だ。元久が東大在学中に司法試験に合格してニュースになると、禎久のところに「おめでとう!」と電話が殺到し、元久が96年に初当選した時も、2011年に野田政権で国家戦略担当大臣として初入閣した時も、禎久のところに祝電や花束が届いた。その度に禎久は「自分ではありません!」と「屈辱的」な訂正を余儀なくされた。

辺境にめげず動き回る

民主党政権が倒れた後、元久は民主党候補として2度の選挙に勝つが、17年には希望の党公認で当選し、党幹事長に就任。その後、旧民進党との合流に伴い国民民主党の幹事長に横滑りした。そして昨年9月、立憲民主党と国民民主党が合流するが、元久は国民民主党代表の玉木雄一郎と行動を共にし、多くの仲間が去った国民民主党に残留した。政党再編のたびに、元久のいる場所は日当たりが悪くなっていった。

一方、禎久も03年に初当選して橋本派に入ったが、05年には衆院本会議で郵政民営化法案に反対票を投じて離党。復党後は「山崎派」「議員グループのぞみ」「石破派」と傍流を渡り歩き、18年の自民党総裁選では石破派の事務総長として一敗地に塗れた。傍流を歩き続けたため当選6期生でも、未だ閣僚経験がない。

だが、冒頭の片山の言葉を借りれば、今はまさに日本の統治機構それ自体が崩壊の過程にある。崩壊は官邸という政界の中心から始まっている。

新型コロナウイルスの感染拡大を受け首都圏の1都3県に緊急事態宣言を発令した1月8日、菅首相は記者会見で「大変な危機感を持っている。もう一度制約のある生活をお願いせざるを得ない」と語った。

だが、ドコモ・インサイトマーケティングの携帯位置情報データによると、8日午前8時台の東京・銀座の人出は、政府が初めて緊急事態宣言を発令した昨年5月の約3倍、渋谷は約2倍だった。官僚ペーパーをボソボソと読み、時々、虚ろな目をカメラに向ける首相の言葉が、国民に届いていないのは明らかだ。

今さら首相の「口下手」「棒読み」を腐すつもりはない。むしろ、そこに菅氏の政治スタイルが滲み出ているから問題なのだ。どう言えば揚げ足を取られずに済むか。後で責任を問われないようにするため、何を言ってはいけないか。首相の頭は、そんな「遊泳術」で一杯なのではないだろうか。軽々しく「国民の生命と財産を守る」と言うが、国家リーダーとしての気概は微塵も伝わってこない。首相を守る立場の官房長官なら駆け引きや手練手管もありだろうが、一国のトップになった人がそれだけでは、やはり統治機構は崩壊してしまうのだ。

だからこそ辺境に追いやられ、しがらみなく自由に考え、動くことができる「古古コンビ」のポジションは悪くない。異例とも言える超党派「気候非常事態宣言」でタッグを組めたのも、二人が「日当たりの悪い場所」にいたからだ。

元久は言う。「風を読まず、言いたいことを言う『古古コンビ』は、これからものたうちまわることでしょう。しかし将来の環境破壊や財政破綻で、息子世代に『お父さんたちは30年間、何をやっていたの』と言われるような生き方だけはしたくない」

禎久は言う。「文明そのものが変わろうとしている時、従来の延長線上に未来はない。不遇になることを承知で通すべき筋を通していく。そういう人間がいなくなった時が危うい」

のたうちまわる「古古コンビ」に注目してみたい。(敬称略)

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大西康之

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