死なずともよい人を 死なさぬために/前日本銀行審議委員 原田泰氏

号外寄稿(4月20日 16:30)

2020年5月号 POLITICS
by 原田泰(名古屋商科大学ビジネススクール教授)

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はじめに

何が「最小律」の制約か分かっていますか?

2015年3月から日銀の審議委員を務め、20年3月に任期満了により退任した。その間、2%の物価目標を達成できなかったことは申し訳なかったが、雇用はほぼ順調に改善を続けていた。

雇用者所得も企業所得も、ほぼ両者を合わせたものである名目GDPも上昇し、税収が上がって財政状況も改善した。14年度の財政赤字は27.6兆円だったが、18年は12.3兆円と激減した(19年度のデータはまだ公表されていない)。この改善には消費税増税の効果は入っていない。

この間、銀行は、日銀の行っている低金利政策で利益が上がらないと不満だったが、借りる人がいないから利益が上がらないだけである。この状況で金利を上げれば、景気は悪化、借りてくれる人はますます減って、貸出先企業も危うくなる。銀行も無傷では済まない。金利を上げても何の解決にもならない(以上は、コロナ・ショック以前の状況について述べている)。

東京の感染者は1カ月後に8.5万人!

ところが一転、日本はコロナ禍のお蔭でリーマンショックを上回る不況に突入しそうである。感染者の指数関数的爆発を抑えるためには外出を極力抑えよということになった。外出できなければ仕事もできず、仕事ができなければ所得がなく、所得がなければモノもサービスも売れず、モノもサービスも売れなければ生産も縮小するしかない。少なからぬ人々にとって、単なる所得の減少以上の死活問題になる。

もちろん、コロナ禍が永遠に続く訳ではないから、いつかは回復する。日本銀行はそのためのつなぎ資金の供給を手助けできる。当然にそうしているが、不況が続けばつなぎ資金ではすまない。政府が直接、人々に所得を援助することが必要となる。それが不十分という批判はあるが、その方向で対策を進めていることは間違いない。

この機会に、外出しなくてもできる仕事を洗い出せば日本経済の効率化に役立つという人もいる。社員は満員電車に乗らなくても、企業は高いオフィス賃料を払わなくても済むようになるのかもしれない。確かに、小学生でも遠隔授業が当たり前の国に比べて、日本は遅れている。医師がコロナ患者からの感染を恐れるなら、早くからネット診療を進めておくべきだった。緊急の資金援助の多くも、ネット申請ではダメで窓口まで来なくてはならない。添付の書類が本物かどうかを確認するために窓口に来いと言うのなら分かるが、説明のために行かなくてはならないようだ。感染機会を増やしているようなものである。不要不急の外出というものは確かにあるだろう。

しかし、人々のために、外出して働かなければならない人も、そうしなければ生活できない人も多い。医師も看護師も介護士も日用品の売り場で働く人もそれを運ぶ人も外出しなければならない。外出して工場で働く人がいなければ、マスクも人工呼吸器も作れない。効率化に役立つと言われても、違和感を持たれる方も多いだろう。

私も家にいて、コロナ禍の情報に触れることが多い。その過程で、コロナ禍に対処する上で、日本の医療体制に多くの問題があると思うようになった。ただし、それをいくら改善しても、患者の指数関数的増加には耐えられない。3月18日の東京の累積患者数は105人だったが、4月18日には2988人と、1カ月で28.5倍になっている。同じ率で増加すると5月18日には8.5万人、6月18日には242.7万人になる。8割の方は軽症(軽症でも39度の熱が続くらしい)ですむということだから、自宅で療養していただいたとしても、8.5万人の2割の1.7万人、242.7万人の2割の49万人が入院したら医療体制が持たない。何としても患者数の爆発的増加を防がなければならない。それが外出するなということである。しかし、それができた後では、医療体制を有効に用いることが重要になる。

人口呼吸器等があっても使えない!

正直なところ、私は、日本には世界的に見て病床が多いから、何とかなるのではないかと思っていた。人口1千人当たりの病床数は、フランス5.98、ドイツ8.00、イタリア3.18、イギリス2.54、アメリカ2.77、韓国は12.27に対し、日本は13.05もある。財務省は、「日本は、他の先進国と比較して人口当たりの病床数が非常に多く、……病床数の適正化が必要」(財政制度調査会提出資料「社会保障について②(医療)」財務省19年11月1日)と主張していたが、病床数を減らすことができなかった。しかし、これがたまたまコロナ対応には幸いと思っていた。 

東京には10万6739の病床がある(東京都福祉保健局「平成30年(18年)報告/東京都における医療機能ごとの病床の状況(許可病床)」)。もちろん、他の患者のために使っている訳だから、これをそのままコロナ患者のために使える訳ではない。しかし、1割の1万床ぐらいは使えるのではないかと思っていた。

コロナを恐れて手を洗い、マスクをし、外出を控えている結果、インフルエンザ患者は激減している。感染を恐れて病院に近付かないようにしているので、そもそもコロナ以外で医者に行く人が減っている。

ところが、感染を起こさないように特別にあつらえた病床は620床しかなく、足りないからホテルを借り上げることになった。ホテルが足りないなら、クルーズ船を借り上げてもよいのではないか。クルーズ船に乗る人は今やいないだろうから、日本には迷惑をかけたと、タダで貸してくれてもよいのではないかと私は思っている。

しかし、ホテルやクルーズ船では医療設備がない。重篤な患者には、人工呼吸器、さらには人工心肺(ECMO、血液に酸素を溶かして元に戻す)という透析のような装置を使う必要がある。日本には、人工呼吸器は、2万2254台あって、うち1万3437台が待機中、マスク専用人工呼吸器は5943台、うち3630台が待機中、ECMOは1412台あって、うち1255台が待機中である(日本呼吸療法医学会日本臨床・工学技士会「人工呼吸器およびECMO装置の取扱台数等に関する緊急調査」20年3月9日)。すると、待機中で追加的に使える人工呼吸器類似機器が1万8322台(1万3437+3630+1255)ある。これが東京に10分の1余りあるとすれば、2千台の待機中の人工呼吸器がある。年に20回使えるとすれば、4万人の患者、月に3300人の患者に対応できる。だがこれでも、入院の必要な患者数が一挙に何万人にもなれば対応できない。

さらに、人工呼吸器を扱える医師が足りないという。しかもこれは呼吸困難に陥らない患者は自宅か、医療設備のないホテルで待機するという前提である。

何が「最小律」の制約なのか

対応策は、一番希少な資源に制約される。つまり、リービッヒの最小律が当てはまる。リービッヒの最小律とは、植物の生長は、必要とされる栄養素のうち、与えられた量の最も少ないものに制約されるという法則である。コロナ対策では、人工呼吸器があっても、ベッドがあっても、防護服やマスクや手袋の数、最終的には、おそらく医療関係者の数に制約される。

過多とされたベッドは利用できない。素人が、すべての制約の中で、一番安価に制約を打破できそうに思うのは、防護服、マスク、手袋だが、これもうまくいかない。医療関係者は、危機に応じた技能を持っている訳ではなかった。感染症や人工呼吸器に対処できる医療関係者の再訓練システムが必要なのではないか。宴会でコロナに感染した研修医は、免疫が付けば最良の医療資源になる。ヨーロッパでは医学生が投入されている。PCR検査の検体採取や人工呼吸器の扱いを医者以外のものもできるようにして、医療の人的資源を拡大することも必要だろう。

何が制約になっているのか、政府はよく分かっていないらしい。多くの人は政府を非難するが、私は、専門家が自分の担当の仕事しか知らないので、何が制約になっているか分からず、政治家が適切な判断ができなかったのだと思う。政治家も現場の話を聞き、何が最小律の制約なのかを見極めるべきだ。

コロナ問題が明らかになったのは1月の末である。感染症専門家は、集団感染を追跡することで感染者を隔離し、爆発的な感染を抑え込めるとしていた。確かに、爆発的感染が起きれば、多少、医療資源を増やしてもどうしようもない。しかし、病院を分けて感染者用の病床を確保する、それによって院内感染を防ぐ、人工呼吸器を扱える医師を増やす、医療関係者を守るためのマスクを増産する程度のことは実行できただろう。最小律の法則に従って、医療資源を戦略的に拡大することが必要だ。それが、最終的には制約となる医療関係者を守り、現場で働く彼らを守ることにも、国民を守ることにもなる。

結論

感染症患者の指数的増加に耐えることのできる社会は存在しない。しかし、患者を抑制できた後では、合理的思考を維持することが、私たちの社会を救うことになる。死ななくともよい人を死なさないことが私たちの文明の根幹である。そのためには、最小律に基づいた対策が必要である。

著者プロフィール
原田泰

原田泰(はらだ ゆたか)

名古屋商科大学ビジネススクール教授

1974年東京大学農学部農業経済学科卒業後、経済企画庁(現内閣府)入庁。同庁国民生活局国民生活調査課長、調査局海外調査課長、財務省財務総合政策研究所次長、株式会社大和総研専務理事チーフエコノミスト、早稲田大学政治経済学術院教授、日本銀行政策委員会審議委員などを歴任。ハワイ大学経済学修士(1979年)、学習院大学経済学博士(2012年)。『日本国の原則』(石橋湛山賞受賞)、『日本を救ったリフレ派経済学』、『ベーシック・インカム』など著書多数

   

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