特別寄稿 迫り来る令和「金融恐慌」/評論家 中野剛志氏

恐慌か、戦争か。邦銀によるレバレッジドローンの引受額は、米欧の金融機関をしのぐ水準。金融危機の火種はいくつもある。

2020年5月号 BUSINESS [恐慌か、戦争か]
by 中野剛志(評論家)

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ニューヨーク・ウォール街の群衆(1929年10月29日)

Photo:Bridgeman Images/Jiji Press

新型コロナウイルスのパンデミックが世界経済にもたらしている大打撃は、1930年代の世界恐慌を想起させるのに十分である。3月20日、セントルイス地区連銀のブラード総裁は、米国の失業率が30%と世界恐慌時を上回るかもしれないと指摘した。24日にはカーメン・ラインハート・ハーバード大学教授が、今回の経済危機を世界恐慌以来最悪と評し、短期的な回復は困難との見方を示した。実際、米国の失業保険の申請件数は、3月第3~4週の二週間で1千万件と過去最多となり、トランプ政権は、3月末、過去最大となる2兆ドル(220兆円)の景気刺激策を決定した。

他方で、恐慌ではなく、戦争を連想する者もいる。例えば、トランプ米大統領は自らを「戦時下の大統領」と評したし、マクロン仏大統領も「これは戦争だ」と連呼した。確かに、厳格な外出禁止措置は、戦時下の戒厳令を想起させるし、イタリアなどの病院は、野戦病院の様相を呈している。実際に、封鎖の徹底や患者の輸送などに軍が動員されている国もある。また米国は、GMに人工呼吸器の増産を命じたが、その根拠法は、朝鮮戦争時に制定された国防生産法であった。

政府債務にもデフォルトリスク

コロナ危機と比すべきは、恐慌か、戦争か。結論から言えば、これは、恐慌と戦争が同時に発生したような事態なのだ。

もちろん、違いもある。例えば、世界恐慌は供給過剰をもたらしたが、パンデミックは、生産や輸送を停止させ、供給途絶を引き起こしている。また、世界恐慌は、金融危機が実体経済に波及したものであるのに対し、コロナ危機は実体経済に起きた危機である。しかし、このパンデミックという実体経済上の危機が、金融危機を引き起こす恐れが高いことに注意しなければならない。この原稿が世に出る頃には、すでに金融危機が起きているかもしれない。

1万6千円台に下落した日経平均(3月19日)

Photo:Jiji Press

なぜ、金融危機を懸念すべきなのか。それは、すでにパンデミックが起きる以前から、世界経済は、金融危機のリスクをはらんでいたからである。

リーマン・ショック以後、先進各国の経済は、低金利が長く続いたため、次第に企業債務が累積していった。民間債務比率の高い経済は、ショックに対して脆弱である。つまり金融危機のリスクが高いのである。

2019年、ジャネット・イエレン前FRB(連邦準備制度理事会)議長、あるいはFRB金融安定報告や国際決済銀行四半期報告は、レバレッジドローン(信用度の低い企業に対するローン)の増加やCLO市場の急拡大に警鐘を鳴らしていた。CLO(ローン担保証券)とは、レバレッジドローンを裏付け資産とする証券化商品であるが、その市場がリーマン・ショック前夜と同水準にまで拡大していた。

日本の金融機関も、長期に及ぶ超低金利のため、収益が悪化し、レバレッジドローンを買い進めたため、脆弱性が高まっている。日本銀行「金融システムレポート」(2019年10月)によると、銀行の資金利益(資金運用で得た利益-資金調達費用)は、リーマン・ショック後を下回っていた。また、邦銀によるレバレッジドローンの引受額は、13年以降、急増し、米欧の金融機関をしのぐ水準だった。

要するに、企業債務のバブルが、コロナ危機を引き金に崩壊し、金融危機が勃発するリスクが高まっているのである。さらに、感染拡大が深刻なイタリアやスペインなどの欧州諸国では、民間債務のみならず政府債務にもデフォルトのリスクがある。あるいは、原油価格の暴落やドル高により、新興国の債務にもデフォルトのリスクが高まっている。

このように、金融危機の火種はいくつもある。もし、パンデミックによる実体経済上の危機に、金融危機が重なれば、まさに世界恐慌の再来である。

コロナ危機は戦争にもなぞらえられるが、これについても違いはある。戦時体制下では、国家は国民や物資を戦場や戦時工場へと動員する。このため、労働者や物資が不足する。言い換えれば、需要に供給が追いつかなくなり、インフレ気味になる。良く言えば、失業率は低下するのである。これに対して、コロナ危機において、国家は国民に経済活動をしないように強いる。動員の逆である。このため、むしろ需要が不足し、失業率は増大する。もちろん、マスク、消毒液、医療機器等は供給不足となり、社会不安から食料品等の買い占めが起き、価格が高騰する場合もある。それらについては、国家による価格統制や取引規制、あるいは企業への生産命令が行われ、まさに戦時経済の様相を呈する。もっとも、これらを除けば、コロナ危機は消費や投資を大きく抑制し、デフレ圧力を発生させるだろう。

戦争と恐慌の両面を持つ複合危機

このように、コロナ危機は、恐慌(需要不足/デフレ)と戦争(供給不足/インフレ)の両面を併せ持つ複合的な危機なのである。これは、自動車産業を具体例とすると分かりやすい。中国でコロナの感染が拡大すると、日本の自動車工場は、中国からの部品供給の途絶に悩まされた。その一方で、米国で感染が拡大すると、米国での需要を失い、工場の生産停止に追い込まれた。自動車産業は、言わば、需要不足と供給不足の双方から絞め上げられているのである。したがって、コロナ危機対策は、恐慌時における経済政策(需要喚起策と金融安定化策)と、戦時における経済政策(供給強化策)を同時に行うことになる。

前者の主役は、財政金融政策である。金融安定化策は中央銀行による流動性供給が中心となるが、需要喚起に関しては、すでに超低金利状態にある現在は、金融政策よりもむしろ財政政策が決定的に重要になる。

後者(供給強化策)を担うのは、必要物資の計画的な増産や供給の確保、医薬品や医療関連設備の収用、生産拠点の国内回帰、あるいは買い占めの規制といった産業政策である。

このように、金融危機のリスクをはらむコロナ危機に対しては、財政金融政策と産業政策を最大限に動員しなければならない。

もちろん、当面、最優先すべき政策は、感染の拡大を防ぐ措置である。しかし、感染拡大抑止策は、経済活動を制限するものであるから、それが強力なものであればあるほど、経済への打撃がより大きくなり、所得を下げ、失業や倒産を増大させる。他方、経済への打撃を恐れて経済活動の制限に躊躇すれば、感染の拡大を防ぐことはできない。感染防止と経済とは、トレード・オフの関係にあるのである。

しかし、所得の低下、失業、倒産といった経済的な被害に関しては、財政支出を拡大することによって、相当程度、軽減することができる。経済的な負担が軽減できるのであれば、その分だけ、感染防止策を徹底することが可能となる。その意味で、財政政策は、感染症対策の重要な一角を担っているのだ。このように主張すると、必ず「財源の問題を、どうするのか」というお決まりの批判が立ちふさがる。財源の問題が、財政支出を制約し、それが感染症対策の徹底を阻むのである。

ここで重要になるのが、昨年、大きな話題となったMMT(現代貨幣理論)である。

改めて簡単に説明すると、MMTが明らかにしたのは、日米英のように、自国通貨を発行する政府は、変動相場制の下では、財源の制約は一切無く、それゆえ、財政破綻(債務不履行)が起きることはないということである。

したがって、租税も国債も、財源確保のための手段ではない。自国通貨を発行できる政府が、その自国通貨を徴収したり、借りたりしなければならない理由はない。それゆえ、健全財政(収支均衡)を目指すことには、意味がない。MMTが健全財政に代えて支持するのは「機能的財政」である。「機能的財政」とは、財政赤字の適正な規模は、それが国民経済に与える影響を基準にして判断すべきだという考え方である。

コロナ危機を克服する「MMT理論」

消費や投資が過剰で高インフレであるならば、租税を重くすることで、消費や投資を抑制する。逆に、消費や投資が過少でデフレ気味であれば、租税は軽くする。この場合、租税は財源確保の手段ではなく、物価調整の手段である。

例えば、昨年、消費増税は、社会保障の財源という口実で行われた。しかし、そもそも日本政府には財源の制約はないし、租税は財源確保の手段ではない。しかも、日本はデフレ下にあり、消費が縮小していたのだから、消費税は増税ではなく、減税しなければならなかったのだ。

国債もまた、財源確保の手段ではない。金利が高すぎるのであれば、中央銀行は国債を買い取って金利を下げる。逆に、金利が低すぎるのであれば、中央銀行は国債を売却する。国債は、金利の調整手段なのだ。

したがって、現下のコロナ危機に対して、MMTに基づいた財政運営を行うならば、政府は、感染防止策のために利益を失った事業者や休業・失職した労働者に対して、財政赤字を拡大して、十分な補償を行ったり、給与を一時的に肩代わりしたり、需要喚起・雇用創出を行ったりすることができる。あるいは、必要物資の生産拡大を促進する財政措置も行うことができる。

このように、MMTは、コロナ危機を克服する上で、決定的に重要な理論なのである。しかし、昨年、政策当局や経済学者の多くは、このMMTについて正確に理解しようともせず、「放漫財政では、インフレが止まらなくなる」などという批判を繰り返してきた。

ところが、今は、どうであろう。欧州諸国や米国は、コロナ危機に対処するため、GDP(国内総生産)の一割から二割に及ぶ巨額の財政出動を行っている(ただし、自国通貨を発行していないユーロ加盟国の場合は、欧州中央銀行や加盟各国が協調しなければ、財政破綻する可能性は否定できない)。だが、この世界各国の大規模な財政出動について、「インフレが止まらなくなる」などと批判する者は、ほとんどいないのである。そして、今後、財政赤字を拡大させたことによって、インフレが止まらなくなるような国も出ないであろう。もちろん、封鎖や操業停止による供給途絶から、特定の物資の価格が上昇し、インフレとなることはあろう。しかし、それは財政支出の拡大によるものではないし、そもそも、MMTは、インフレの原因は、実体経済上の供給不足のみであるとする理論なのだ。

したがって、現下のコロナ危機は、財政赤字の拡大を心配する必要はないというMMTの主張の正しさを証明するであろう。それだけでなく、この巨大な危機を克服するには、MMTこそが必要なのである。

これまで、今回のコロナ危機は、恐慌と戦争の両面を併せ持つ危機であり、その二重の危機を克服するのに必要なのはMMTであると述べてきた。

実は、MMTの源流の一つは、1930~40年代の世界恐慌と第二次世界大戦であった。すなわち、世界恐慌に対処した米国のニュー・ディール政策と、世界大戦中の戦時統制経済の経験から、租税と財政がどう機能するものなのかが明らかになったのである。その洞察を導き出したのは、ビアズリー・ラムル。ニュー・ディーラーであり、1940年代にニューヨーク連銀の議長を務めた人物である。

MMTの源流「ラムルの叡智」

ラムルは、終戦後間もない1946年に「歳入のための租税は時代遅れ」と「繁栄のための租税政策」という二つの論文を書き、そこでMMTと同じ洞察を、極めて簡潔に示して見せた(以下の引用は、この二つの論文からである)。

ラムルは言う。「大戦中に、我々は、租税とその財政政策との関係について多くを学んだ」。戦争から学んだこととは、何か。それは、「国民国家は、支出をまかなうのに必要な財源を得るために、租税を必要とはしない」ということであった。それは、現代的な中央銀行が創設されたこと、それから金本位制が廃止され、貨幣が金との兌換義務という制約から解放されたことによって実現したものであった。

こうして、歳入のための租税という発想は、時代遅れとなった。今や、政府は、課税が経済社会にどのような帰結をもたらすかを中心に考えて、税制を設計すればよくなったのである。

具体的に、ラムルは、租税の目的として、次の四つを挙げている。①ドルの購買力の安定を促進するための財政政策、②累進所得税や遺産税のような、富と所得の分配に関する公共政策、③様々な産業や経済団体を支援したり、罰したりする公共政策、④高速道路や社会保障のような便益に対する費用の評価。

ちなみに、①の財政政策とは、政府支出が国民の購買力を増やし、租税はそれを減らすという意味である。「政府が支出するドルは、それを受け取る国民の購買力となる。政府が租税によって採り上げるドルは、国民が支出することができないものであり、売っているものを買うのにはもはや用いられないのである」

国民の購買力を減らすということは、租税は、物価調整の手段になるということである。これも戦争から得た教訓であった。「大戦が政府に教え、そして政府が国民に教えたことは、連邦税がインフレとデフレ、つまり売買される物の対価と深く関係しているということである」。

ラムルは、「明らかなことであるが、消費需要を創造し、民間投資を促進する上で減税が最も有効である場合は、減税をすべきである」と述べた上で、廃止すべき税制の筆頭に消費税を挙げる。「我々の主目的が国民の生活水準の向上にあるなら、すでに国民が手にしている所得をそのまま残してやる以上に良い方法があるだろうか」。要するに、消費税には、国民の購買力を奪うということ以外に意味はないということだ。ラムルは、法人税も廃止すべきだと主張する。その理由の一つは、法人税は生産費用を引き上げるので、価格引き上げと賃金引き下げの圧力になるからである。また、法人税により、企業の資金調達は、自己資本よりも負債を選好するようになるともラムルは言う。この指摘は、企業債務の膨張がリスクを高めている現在、特に示唆に富むものであろう。

財政支出は財源に制約されている。租税は財源確保の手段である。こうした固定観念が、世界恐慌と世界大戦という二つの巨大な危機によって破壊され、そこから、ラムルはMMTの原型とも言うべき税財政論を編み出したのである。

しかし、健全財政という有害な固定観念は、恐慌と戦争、そしてラムルの叡智によって、いったんは破壊されたかに見えたが、時を経て復活し、再び世界を支配している。特に、日本の財政・経済政策は、長期デフレであるにもかかわらず、金本位制時代の遺物である健全財政論に呪縛されたままだ。

だが、この時代遅れの健全財政論が日本に何をもたらしたか。

この期に及んでも健全財政の呪縛

緊急事態宣言を発令した安倍首相(4月7日)

Photo: AFP=Jiji

まず、デフレであるにもかかわらず、歳出抑制と消費増税が繰り返されたため、日本経済はデフレから脱却できなくなり、過去20年間、ほとんど成長しなくなった。その結果、内需が減退した日本経済は、輸出やインバウンドといった外需への依存を高め、外的ショックに対して脆弱な構造になった。特に、2019年は、世界経済が景気後退局面にあり、リーマン・ショック以降、最低水準の成長率となる見込みであり、外需には期待できなかった。国内の景気も後退しつつあった。にもかかわらず、消費増税が断行されたため、昨年10~12月期の実質GDPは、前期比マイナス1.8%、年率換算でマイナス7.1%と激しく落ち込んだ。

さらに、有害無益な財政健全化のために、全国の保健所を852カ所(92年)から472カ所(19年)にまで減らし、昨年には、病床数まで減らそうとしていた。感染研の研究費と研究者も減らされてきた。そこに、コロナウイルスのパンデミックが襲ってきたのである。

我々は、この恐慌と戦争の同時発生とも言うべきコロナ危機に直面して、今度こそ、時代遅れの健全財政論から決別しなければならない。だが、4月7日、緊急事態宣言の発令とともに公表された経済対策は、過去最大を謳いながら、追加国債発行額はわずか16兆円程度。この期に及んでもなお健全財政の呪縛が解けないのでは令和恐慌は必至である。

著者プロフィール
中野剛志

中野剛志(なかのたけし)

評論家

1971年生まれ。東大教養学部卒。通商産業(現経済産業)省に入り、英エディンバラ大学大学院で博士号取得。主著『富国と強兵』で、MMT理論を初めて紹介。

   

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