明日をも知れぬ混沌へ パンデミックに「五つの性」

(4月06日 11:00)

2020年4月号 EXPRESS [号外寄稿]
by 川上和久(麗澤大学教授)

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4月1日に開かれた新型コロナウイルス感染症対策本部(首相官邸HPより)

こういった形で日本が、世界が大きく変わると、誰が予想しただろう――。世を挙げて東京オリパラムードで外国人観光客が東京に溢れ、お祭り騒ぎの好景気が予想されていた。先行きが見通せるレールの上を、誰もが走っている感覚だった。

今にして思えば、能天気な思い込みだ。世の中、何が起こるか分からない。

予想外の事態を引き起こし、政治が激動する引き金がパンデミック(爆発的な感染拡大)だということは、歴史が証明している。

太古の日本をひっくり返したのは天然痘だ。天然痘はシルクロードを通って6世紀に日本に入り込んだ。735年から737年にかけての「天平の大流行」で、少なくとも、当時の日本の人口の4分の1にあたる100万人以上が落命したと言われている。

当時の政治は、藤原不比等の4人の息子たち、藤原武智麻呂、藤原房前、藤原宇合、藤原麻呂が長屋王を追い落として実権を握っていたが、737年(天平9年)、天然痘で4人ともあえなく病死、生き残った藤原不比等の娘である光明皇后の異父兄弟で、葛城王から臣籍降下した橘諸兄が政治的な実権を握ることになった。天然痘が政治の激動をもたらしたのだ。

「文明の滅亡」から「大虐殺」まで

政治の激動どころか文明の滅亡をもたらしたのも天然痘だ。15世紀初めから16世紀はじめにかけて100年近く、今のメキシコ近くで栄えたアステカ文明。首都テノチティトランの人口は数十万人に達し、当時、世界最大級の都市だったが、エルナン・コルテス率いるスペイン人たちが、この地に天然痘を持ち込んだ。スペイン人たちは天然痘ウイルスの抗体ができていたものの、抗体ができていなかったアステカ人の間に天然痘が大流行し、人口は10分の1以下に激減、アステカ文明は滅亡の憂き目にあった。

18世紀半ばにエドワード・ジェンナーが天然痘のワクチンを開発し、天然痘が撲滅されたのは、実に1970年代になってからだ。

ペスト菌がもたらす疫病もヨーロッパの政治の激動をもたらした。ペスト自体は古代ギリシア時代から周期的な流行を繰り返していたが、ヨーロッパでの14世紀半ばの大流行では、当時のヨーロッパの人口の3割から6割に当たる約2千万人から3千万人が死亡したとされる。このパンデミックは、フランスとイギリスの間で争われていた、いわゆる「100年戦争」の講和に結びついていくことになった。

当時は、ペスト菌の存在が確認されていなかった。「見えない死の恐怖」から、ユダヤ人が井戸に毒を投げ込んだから、というような偏見に基づくデマも拡散され、大虐殺も起きた。

ペストの原因であるペスト菌が発見されたのは19世紀末、北里柴三郎博士を待たなければならず、20世紀になってやっと有効な感染防止対策がなされるようになった。

スペイン風邪に患者で埋まる野戦病院

Photo: National Museum of Health and Medicine, US, NSP 001603

インフルエンザも、紀元前からあった感染症だが、未だにウイルスが変異して人類はインフルエンザとの戦いを続けている。第1次世界大戦で大流行したスペインかぜは、A型ウイルスによるインフルエンザだが、もともとは米国中西部で発生し、感染した米軍兵士がヨーロッパ戦線に持ち込んだとされる。

スペインかぜは両軍に多くの犠牲者を出し、作戦行動に重大な支障をきたすようになり、第1次世界大戦の講和を早めたとされる。このパンデミックで、世界で2千万人以上が犠牲になった。

スペインかぜという名称の由来は、戦時中の各国が情報統制していたため、中立国スペインでの感染状況が報道され、スペインかぜというスペインにとっては迷惑な名前が残った。後に、スペインかぜはA型ウイルスの仕業と判明したが、天然痘やペストと異なり、ウイルスは形を変えながら、未だに多くの人たちに感染し、日本だけに限ってみても、冬場を中心に年間3千人が亡くなっている「現在進行形」の感染症だ。

熾烈な情報戦で「歪められる歴史」

なぜ、天然痘、ペスト、スペインかぜという、人口に膾炙したパンデミックの歴史を回顧したのか。そこに、今日の新型コロナウイルスの感染爆発と共通する「歴史の性」が見えるからだ。

第一は、感染症で不安感が増すことで、非合理的な集団行動が起きやすくなる「性」だ。

中世ヨーロッパでのペストの流行では、根拠のない流言により、ユダヤ人が大量虐殺された。たしかに渡航自粛要請の中で欧州旅行に出かけ、卒業式などに出席してクラスター感染を引き起こした京都産業大や県立広島大の学生の行動は非難されるべきだが、そういった学生の実名や住所を暴き出そうとする「歪んだ正義感」がネット上で暴走している。

「トイレットペーパーが足りなくなる」などのフェイクニュースに踊らされて、開店前からスーパーに人々が並ぶ光景は、政府が「ほとんど国産品で足りている」と連呼しても変わらなかった。非合理的な集団行動は、既存の権威を疑うことに通じる。些細なきっかけで一気に政権は崩壊する。未だに新型コロナ感染者を認めない北朝鮮の態度は、体制崩壊を極度に恐れるが故だろう。

第二は、政治目的がときとして感染症対策に優先する「性」だ。

第1次世界大戦時には、自軍の罹患状況を知られないようにするため、連合軍もドイツ軍も情報を徹底的に隠したため、実態が知られずに感染が拡大した。

中国政府が、原因不明の肺炎患者から新型コロナウイルスが検出されたと正式に認めたのは1月9日だったが、香港紙は、現段階で確認されている新型コロナウイルスの最初の感染者は、湖北省で昨年11月17日に発症したと報じている。中国当局が「原因不明のウイルス性肺炎27人」の発症を、初めて公表したのは12月31日、専門家が「人から人」への感染を認めたのは1月20日で、情報の隠蔽が疑われている。

その最中に多くの中国人が春節の大移動で日本を含む海外に溢れ出し、世界中で感染爆発の引き金を引いた。 中国の情報隠蔽により、世界の感染症対策は2カ月遅れることになった。

第三は、パンデミックが熾烈な情報戦を引き起こす「性」だ。

歴史は、歴史的事実そのものより、情報戦でそれを定義した者が勝者となる。スペインがスペインかぜの汚名を着ることになった所以である。中国は、自国で発生したにも関わらず、米国が持ち込んだウイルスの可能性を政府高官までもが示唆し、途上国に医療援助して情報戦を仕掛けている。WHOのテドロス事務局長も中国に配慮して「緊急事態」表明に後ろ向きだった。インドネシアでは中国ではなく日本人女性が新型ウイルスを持ち込んだ「元凶」にされている。新型コロナウイルスの感染爆発という歴史的事実は、熾烈な情報戦により、これからも歪められていくだろう。

第四は「大きなニュース」と「埋もれていくニュース」の価値が、予期せぬ結果をもたらす「性」だ。テレビの情報番組は連日感染症の専門家を呼んで新型ウイルス対策を論じ、困窮する人たちを取材し、在宅者が多く視聴率が跳ね上がる、という皮肉な現象が生じている。こうなると、野党が河合夫妻の公職選挙法違反のニュース価値、ましてや桜を見る会など「大事の前の小事」になってしまう。

これは、一時的には安倍内閣にとって「僥倖」かもしれないが、感染症対策を誤れば、そのダメージは計り知れない。原発事故対策で集中砲火を浴びた菅直人内閣の二の舞だ。

そして第五に、新しい政治体制を生み出そうとする「性」だ。

民主主義国家における感染症対策は至難の業だ。中国のような一党独裁の強権が「感染症制圧」に有効と、多くの人々が考えたとしたら、民主主義自体への懐疑的世論が生まれ、全体主義を求める世論すら生まれかねない。

安倍内閣の対応の「遅さ」「鈍さ」への批判は、そのまま、意思決定に時間がかかる民主主義への批判、より強いリーダーシップへの渇望につながるかもしれない。

新型コロナウイルスという中国が引き起こした惨禍が、世界の政治体制、日本の政治を大きく揺るがしつつある。昨年の春、誰もが今年の春を見通せなかったように、来年の春は「五つの性」が入れ代わり立ち代わり、明日をも知れぬ混沌へと突き進んでいくのではないか。

著者プロフィール
川上和久

川上和久

麗澤大学教授

1957年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。東海大学講師・助教授、明治学院大学助教授・教授、国際医療福祉大学教授を経て2020年4月より現職。専門は政治心理学・戦略コミュニケーション論。主要著書に『情報操作のトリック』(講談社現代新書)、『反日プロパガンダの読み解き方』(PHP研究所)等。

   

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