日本の宝「富士山頂」観測を怠る愚

富士山は100%噴火する。火山監視を含む科学観測をNPOに頼り切りでよいものか。

2020年4月号 DEEP [特別寄稿]
by 長尾年恭(東海大学海洋研究所長)

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富士山頂の旧測候所を望む

日本人の心と言っても良い富士山。景観や山岳信仰といった文化的な意義だけでなく、実は日本最高の地球環境監視の現場でもある。富士山は人間で言えば20歳ほどの極めて若い火山であり、近い将来確実に噴火する。これは火山学者100人に問えば全員がYesという答えとなる。富士山は東京の西に位置しているので、火山灰は偏西風に乗って、基本的に東京や神奈川に積もる事を意味する。約300年前の宝永の噴火でも、現在の富士山のハザードマップでも富士山の東側で多くの火山灰被害が生ずる事になっている。地震は一過性であるが、火山噴火は長期間の災害となる。実際、宝永の噴火では、江戸には2週間火山灰が降り続いた。富士山が一旦噴火すれば羽田、成田、新幹線、東名すべて使えない状態が長期間続くという事をどれだけの人が知っているのだろうか。

内閣府による富士山噴火による被害想定は2兆円程度であるが、これは火山灰による農作物の被害等の直接被害のみで、たとえば羽田空港が2週間使えないというような要素は推定不能という事で想定に入っていない。

そして火山灰は「灰」ではなく、尖ったガラス片で、気管支喘息等の呼吸器疾患を持つ人には大きな健康被害をもたらすだけでなく、キーボードやUSBポートなども使用不可能になる可能性が高い。換言すれば、IT化された近代都市はまだ大きな火山噴火を経験していないのである。ちなみに桜島は定常的に噴火しているが、これは個々の噴火が宝永の噴火よりはるかに小さい噴火である事と、長い経験で自治体も住民もうまく対応しているためで、火山灰の処理システムも確立されており、結果として大きな被害となっていない極めて稀有な例である。

NPO法人が測候所を賃借

富士山は周囲に高い山が無く、孤立峰である事が大きな特徴である。例えば温暖化ガスの一つであるCO2の監視で有名なハワイのマウナロアに比べると、非常に「急峻な」山のため、大陸を越えてくる大気が直接観測できる。このため、日本にいながらにして中国・韓国の経済活動すら監視できるのである。一例を挙げれば、冬季においては石炭火力発電等の影響でマウナロアよりCO2濃度が高くなり、夏季は逆に大陸での光合成が盛んなため、濃度は低くなる。また2014年以降、CO2濃度の上昇がそれまでより鈍っているのだが、これは経済成長が鈍化したか、環境対策が進んだという2つの理由が考えられ、筆者は前者の可能性が高いと考えている。つまり富士山頂での監視は中国の経済成長率の監視とも言えるのだ。

ここで富士山頂での観測のネックとなっているのが、8合目以上は基本的に富士山本宮浅間大社の所有で、山頂の帰属は静岡県でも山梨県でもない。そしてこの場所を環境省、気象庁、静岡県、山梨県が時に権利を主張する5すくみ状態となっている。たとえば入山料(保全協力金)を徴収している両県であるが、山頂登山道の整備は環境省しか対応出来ないというおかしな状況が続いている。

富士山頂では1932年に富士山測候所が正式に発足し、通年の気象観測が開始された。1959年、史上最大の人的被害を出した伊勢湾台風が契機となり、台風進路予測精度の飛躍的向上のため富士山頂にレーダー配備が決定した。レーダーは64年10月に見事完成したが、想像を超える難工事であった事から、後年になってNHKのプロジェクトXで映像化も行われた。

しかし77年に気象衛星「ひまわり」が打ち上げられ、以降、台風の監視は人工衛星の時代となった。その結果99年には富士山レーダーは運用を終了し、04年10月には72年間続いた有人での通年観測に幕が降りた。そのため富士山測候所も解体・更地化の可能性が検討されるようになった。このような状況のもと、高山での科学観測の価値を知る研究者達が結集し、測候所の存続を訴える運動を開始した。幸い国有財産貸与に関する法律が改正という追い風もあり、NPO法人「富士山測候所を活用する会」を立ち上げ、気象庁との交渉を重ね、07年から富士山測候所を賃借することに成功した。とはいえ、その条件は研究・教育利用のみ。電源を含めた庁舎維持はすべてNPOが行い、研究者の滞在は夏季2カ月に限るという厳しい条件であった。電源は山頂の環境省バイオトイレに分電し、それ以外にも須走口の5合目施設への電気もNPOが提供している。

予算がない気象庁は更地化

NPOでは夏季は3名以上のプロの登山家を常駐させ、富士山測候所を利用する研究者の安全確保等にあたっているが、成り行き上、登山道の整備、AEDの貸し出しを含む一般登山者の遭難事故の対応まで行っている。これらは全てNPOが経費を持ち出している。換言すれば、各研究者の研究費、支援者の寄付金を使って、本来行政が行うべき人命救助まで行っているのである。長年、NPOではこの問題を行政に訴え続け、登山道整備を所管する環境省は、数年前より登山整備の分担割合を少しずつであるが、改善してもらえることになった。静岡県は、次年度よりAED借用等の経費を半額負担するという、ささやかではあるが理解を得られた。しかし山梨県に至ってはいまだに一銭の負担もない。いずれにしろ行政はNPOに頼り切っている状況である。

現在は気象庁から庁舎を借り受ける事に成功しているものの、施設維持の予算がない気象庁は、いつかは更地にしようとしている。一旦更地となれば、土地の返却が浅間大社へなされ、2度と施設は作れない。日本で唯一の高所にある貴重な施設が利用できなくなり、その科学的な損失は図りしれない。

富士山については13年に世界遺産に登録され、文化的には保全していく体制が整ったが、科学的にはその重要性に比較して極めてお寒い状況だ。繰り返しになるが、富士山の噴火は「想定ずみの確実に発生する」危機であり、IT化された世界最大級の都市が初めて経験する災害かもしれない。そしてこれは自然災害でもあるが、経済災害とも位置づけられる可能性が高い。このような意味からも山頂における火山活動監視を含む科学計測の拠点として、本来なら国が主体的に観測点を維持すべきものと筆者は考えているが、読者の皆様はどのようにお思いになられるであろうか。

著者プロフィール
長尾年恭

長尾年恭

東海大学海洋研究所長

東海大学海洋研究所教授・理学博士。大学院在学中に第22次日本南極地域観測隊に参加し、昭和基地で越冬。金沢大学理学部助手を経て1995年より東海大学海洋学部助教授、2001年より現職。2018年より日本地震予知学会会長、2019年より国際測地学・地球物理学連合の「地震・火山噴火に関する電磁現象WG」の委員長を務める。

   

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