アラムコ上場に失敗したら、ムハンマドは進退窮まる。ファンドから4.6兆円を強引に引き揚げるかもしれない。
2019年11月号
GLOBAL
by 藤和彦(経済産業研究所上席研究員)
ムハンマドと孫正義の「蜜月」は続くか
Photo:AFP=Jiji
世界最大の原油輸出国であるサウジアラビアの財政は、いよいよ火の車だ。9月14日未明の国営石油会社サウジアラムコ本社(同国東部のダーラン)近辺の石油施設(アブカイク・クライス)が、18機のドローンと7機の巡航ミサイルの攻撃を受け、日量570万バレルの生産能力を失ったからだ。石油生産設備のダメージは第2次石油危機を上回る過去最大であり、世界の原油供給量の6%弱に相当する。
これまでサウジ政府は原油売却収入を増やすため、生産能力を2割も下回る減産を続けてきたが、原油価格は一向に上がる気配を見せない。攻撃を受けた直後、原油価格が急騰したが、2週間後に元の水準に戻ってしまった。原油売却収入が大幅に減り、今年のサウジ経済はマイナス成長に落ち込む見通しだ。
サウジの財政難は、今に始まったことではない。2014年後半に原油価格の暴落以降、国家財政は5年連続の赤字だ。サウジの財政均衡には1バレル80ドル台の原油価格が必要であり、それを下回ると財政危機に陥る。足元の原油価格は1バレル60ドル前後で推移している。
より深刻なのは軍事費の増大だ。15年4月以降、イエメンへの軍事介入が大きな負担になっている。毎年、国家予算(3千億ドル)の2割以上(650~690憶ドル)を軍備に投入し、世界第3位(対GDP比10%以上)の軍事大国になっている。原油生産の中核施設を攻撃されたため、更なる軍備増強が避けられない。
こうした中、15年にサルマン国王(83)の息子である若き実力者、ムハンマド皇太子(34)が実権を握り、外交・安保から経済・財政・石油の舵取りまで強権を振るうようになった。
皇太子は16年4月、石油頼みの国家運営からの脱却を目指す「ビジョン2030」を発表。17年にはサウジ北西部の紅海沿岸に新たな産業都市「NEOM」構想(事業規模5千億ドル)をぶち上げた。さらに、皇太子が進める急進的改革の目玉が、国営石油会社サウジアラムコの新規株式公開(IPO)だ。皇太子は、想定企業価値2兆ドル(220兆円)と見込むアラムコの株式の約5%を上場し、1千億ドル(約11兆円)を調達。これにより「脱石油」改革と経済多角化を推進するシナリオを描いていた。
しかし、アラムコのIPOは情報開示不足や「2兆ドル」の企業価値への疑問から、18年中の上場は困難になった。追い打ちをかけるように18年10月、トルコでサウジアラビア人著名記者の殺害事件が勃発。「清廉な若き改革者」のイメージは台無しになり、当てにしていた外国からの直接投資が急減し、「NEOM」構想は立ち消えになった。
しかし、皇太子はアラムコ上場を諦めなかった。「脱石油」の加速には莫大な資金調達が必要だからだ。アラムコは今年8月、初めて投資家向けの収支報告を行い、同社の利益は1111億ドル(約12兆円)に達し、世界で最も稼ぐ企業であることを内外市場に訴え、上場に向けた動きを再開した。その矢先に起こったのが無人機による施設攻撃だった。アラムコは、石油生産量は10月までに回復できると発表したが、世界最大の輸出国の地政学的リスクは増すばかり。皇太子がいう企業価値「2兆ドル」を、真に受ける投資家はいなくなった。それでもサウジはアラムコの上場延期を否定する。もし、頓挫したら強権的な皇太子への批判が巻き起こり、財政危機に火が付く恐れがあるからだ。
一方、無人機による施設攻撃は、原油輸入の4割をサウジに依存する日本経済にほとんど影響を与えなかったが、ソフトバンクグループ(SBG)の株価は急落した。17年5月にSBGが立ち上げたソフトバンク・ビジョン・ファンド(SVF)の規模は約10兆円(986億ドル)。その半分弱の約4.6兆円(450億ドル)を、サウジ政府系ファンド(PIF)が出資している。サウジマネーを後ろ盾とする「10兆円ファンド」に影響が出ないか、マーケットが動揺するのも無理はない。
SVFは発足から2年間に、AI(人工知能)を軸とするユニコーン(評価額10億ドル以上の非上場企業)約80社に投資を行った。投資リターンは年率45%に達し、SBGはサウジに7%の利回りを保証しているようだ。
SVFの評価益がSBGの業績を押し上げ、19年3月期の営業利益2兆3539億円の5割以上をSVF事業が稼ぎ出した。
SVFは非常に速いペースで投資を進め、今期中にも10兆円を使い切ってしまう勢いだ。このため、孫氏はAI投資の総取りを狙って、投資総額1080億ドルの2号ファンドを立ち上げると宣言。1号ファンドに続き米アップルや鴻海が出資するほか、米マイクロソフトが初めて参加するが、サウジの姿はない。
孫氏が「石油の次はデータ」の殺し文句で、若き皇太子からオイルマネーを引き出したのは語り草だ。孫氏は2号についても「サウジと条件を詰めている」というが、サウジは脱落する可能性が高い。カネがないのだ。
実際、サウジ政府は、アラムコを国内上場させたうえで、外国市場にも上場する2段階方式を検討している。ムハンマド皇太子は、アラムコ株の3%分(600億ドル相当)を国内上場し、有力王族に「力ずくで」買い取らせる目論見のようだ。皇太子は2年前に有力王族らを汚職摘発の名目でホテルに軟禁し、釈放する代わりに約1千億ドルを奪ったことがあり、アラムコ上場は、その再現になりそうだ。
10月3日付ロイターは「施設攻撃を受けた後、サウジの王族や財界の一部から皇太子に対する不満が噴出している」と報じた。莫大な国防費(イエメンへの軍事介入費は累計1千億ドル超)を投じながら防御できなかった皇太子への失望が広がり、強権的な手法に批判が高まっている。これまでの独断専行が通用するとは限らず、王族内の反発が強いアラムコの早期上場に待ったがかかる可能性もある。
進退窮まった皇太子はファンドから4.6兆円の引き揚げに動くかもしれない。常識ではあり得ないが、記者を殺して薬剤で溶かすほどの人物である。アラムコ上場の頓挫は、孫氏にとって悪夢以外の何物でもない。