病める世相の心療内科㉞

現実的交流のない「セル」の住人

2019年11月号 LIFE [病める世相の心療内科㉞]
by 遠山高史(精神科医)

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絵/浅野照子(詩画家)

先ごろの15号台風で、私の家の反対側にあるアパートのステンレス製のごみ箱が道路の反対側まで吹っ飛んだ。むろんごみは散乱し、散らばった生ごみにカラスが群がった。しかし、アパートの住人は誰も片付けに現れない。

このごみ箱、風の通り道にすえられているにもかかわらず、風の対策が全くなされていないため、これまでにも、強風のたびに何度も道路に転がり出ていた。仕方なく、我が家人が片付ける羽目になるのだが、アパートの所有者は全くしない。

そこで、管理会社に言うと、我が家人があらかた片付けたあと、残りを一応、片付けにくる。が、一向、根本的風対策なるものはしない。また転ぶだろうと言っても、所有者が改善費用を出さないと言うので、できないと、慇懃に突っぱねてくる。

所有者も管理会社(かなり有名な会社にもかかわらず、最初3階建てのアパートを建てるという写真を見せながら、建築承諾を求めてきて、実際には4階建てを建てたという、悪質性を有しているが)もさることながら、約20戸の賃貸アパートだが、そこに住む誰一人片付けに現れない。

そして、そ知らぬふりをして出かけてゆく。片付けは管理会社がやると思っているのだろうが、これまで何度もごみの散乱があったにもかかわらず、私の知る限り誰も片付けに現れなかった。

しかし、住人たちに公共精神が欠けていると決めつけるのは早計である。むしろ住人同士全く交流を持っていないと考えるべきであろう。うかつに手を出そうものなら、自分の出したごみでないものまで自分が捨てたごみと思われかねず、あるいは、すべてを一人で片付けねばならない羽目にもなりかねない、という恐れがあるのかもしれない。

交流がないので、他の人間がどういう人種かがわからない。もしも、意地の悪い隣人であったら、他と違った目立つことをすると、自分というものが知られてしまい、時に恨みを買うかもしれない。ようするに、誰だかわからない隣人に自分のことを知られることで何かされるのでは、という恐れがあるのだろう。

この心理を読者は不思議に思うであろうか。孤立した社会はわずらわしさからは解放されるかに見えるが、ひとたび狙われれば非常に弱いことは、昨今の事件を見れば容易に理解できよう。誰も守ってくれない。警察に言っても、実際に事が起こった後でしか動かない。

それゆえにこそ人は自分のプライバシーが漏れることに神経質になる。プライバシーといっても知られて困るほどのものはそうそうない。むしろ知られることで狙われやすくなるといった恐れで人は過敏となっている。だから、アパートの住人が善人と考えるよりは悪人としておいて自分のことが漏れないようにしておくほうがより安全だと考える心理が働くのだ。

こうして過密だが離散的社会はますます、相互の交流を避け、孤立を深めて行く。ネットでの友達を作れるという人もいるだろう。しかし、ネットの友達はごみを拾いに来てくれないが、住人の中に交流する一組でもあれば、協力して片付けに当たることは容易である。

そういった機能をほとんどエネルギーなしでやってのけ、相互にかばいあえる仕組みをコミュニティーというのだが、コミュニティーはそのアパートだけでなく、日本社会から消滅してしまっている。そして、リアルな交流を有さないセルのような住まいの中に、前回述べたモンスターたちは知られることなく悠々と潜んでいるやもしれない。

著者プロフィール

遠山高史

精神科医

   

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