「夫婦別姓」最高裁判決 官僚化極まり裸の王様

瀬木 比呂志 氏
明治大学法科大学院教授(元裁判官)

2016年2月号 POLITICS [インタビュー]
インタビュアー 本誌 阿部重夫

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瀬木 比呂志

瀬木 比呂志(せぎ ひろし)

明治大学法科大学院教授(元裁判官)

1954年、名古屋市生まれ。77年に東京大学法学部卒、司法修習31期。79年から裁判所に入り東京地裁、大阪高裁などに勤務。米国留学や最高裁調査官も経験。12年に依願退官して明治大学へ。『ニッポンの裁判』で城山三郎賞受賞。

――「夫婦同姓」を合憲とし、「女性の再婚禁止期間の100日超は違憲」とする最高裁判決が不人気です。

瀬木 当然、予想された判決ですね。今の最高裁は統治の根幹に触れる判断を避け、憲法裁判所の機能を果たしていない。夫婦別姓は家族制度という統治の根幹ですから、アンタッチャブルな領域なのです。それに最高裁は時の権力の意向を忖度(そんたく)し、とりわけ「家族の絆」を唱える自民党保守派と背馳する判断をしない。彼らが見ているのは個々の訴訟当事者より、一に支配権力、二に世論。だから迎合判決になる。

――基本は現状維持、選択的別姓は「国民で議論を」とボールを放り投げた。

瀬木 裁判所は戦前は司法省の下にあり、そのためもあって伝統的に行政に遠慮するのが習い性になっている。日本の政治家が常にアメリカ政府の意向をうかがうのと似ていて、直接支配関係にあるわけではないのに行政に気兼ねする。本来、司法が権力に釘を刺し、人権を守るのが三権分立なのに、今の憲法判例は「の・ようなもの」でしかない。自由主義や民主主義の基本を押さえていないから、欧米標準に達していません。むしろ世界の趨勢から取り残され、逆行しているのが日本の裁判所の実情です。

「家父長主義」の古い家族観

――15人の最高裁判事のうち女性3人全員と弁護士出身の2人が「違憲」。多数意見の10人は「嫡出子が両親と同姓であることに意義あり」と認めたが、あの家族観は古めかしい。

瀬木 最高裁判事の年齢が高く、思想的にも保守ですから家族観は非常に古い。パターナリズム(家父長主義)と干渉主義が色濃いが、今は家裁を含めた裁判所全体が古くなっている。民事裁判経験者のアンケートでは満足度が20%前後と極めて低い。判決は勝ち負けなので勝った側の5割くらいが満足するはずなのに、その半分も裁判所に満足していない。利用者の家裁への不満も強いです。下流社会では家庭崩壊している現実を見ていない。

――02年に野田聖子議員らによる「例外的夫婦別姓」議案は「子供にシワ寄せが行く」と実現しなかった。

瀬木 別姓反対派は常に子供を持ち出します。確かに子をどちらの姓にするかは面倒なところで、交代とかクジとかの案も出ました。しかしそれは夫婦間の話し合いが一致しなかった場合の派生的な問題で、一部をもって全体を判断する転倒した詭弁です。とりあえずどちらかにして子が大きくなったら選択権を与えるとか、どうでも解決できる方法があるはずです。

一方、道徳的問題に法が介入するのも問題です。例えば浮気相手に対する「不貞慰謝料」を認めているのは日本だけ。配偶者を所有するモノとみなし、その人格を認めないに等しいのに、江戸時代のように不貞=悪と断じている。欧米ではありえないことですが、社会通念でも道徳的責任と法的責任がきちんと分けられていない。

――フランスでは事実婚を増やし出生率が回復した。少子化の日本は長男、長女ばかりで夫婦同姓が結婚の障害ですが。

瀬木 最高裁が家裁関係で従来の判例から踏み出したのは、長期の別居があれば離婚を認めることと、非嫡出子の相続が嫡出子と同等と認めたことの二点だけ。事実婚を認めるどころか、夫婦別姓ごときでもまだ欧米に遠く及ばない。

歯止め効かぬ「閉じられた社会」

――DNA鑑定の時代に再婚禁止期間を認めたアナクロニズムも呆れます。

瀬木 純粋培養のキャリアシステムのもとにある裁判官は、外の世界の常識と隔絶されています。公務員争議で自民党が危機感を抱き、1969年に右翼的な石田和外氏を最高裁長官に据えてから、左派のみならずリベラル派の裁判官まで排除されるようになってきた。85~90年の矢口洪一長官時代、2008~14年の竹﨑博允長官時代に、どんどん官僚化が進み、骨のある裁判官、節度ある裁判官が冷遇されて消えていった。最高裁事務総局の覚えのいい出世主義の裁判官ばかり闊歩する傾向が近年ひどくなった。

――夫婦別姓判決に限らず、最近の裁判所の判決は劣化していると?

瀬木 「一人一票」の判決もあれでは理屈になっていない。米軍機飛行訴訟でも一切関知しないという態度で、憲法判例はもはや「裸の王様」です。関西電力高浜原発3、4号機の再稼働差し止めの仮処分を認めた福井地裁決定(樋口英明裁判長)は覆されたし、名誉毀損訴訟でも最高裁の意を汲んだひどい判決が相次いでいる。

私も、裁判所が息苦しい「檻の中」と感じるようになり、強制収容所を生き延びたプリーモ・レーヴィが言った「自分の世界についてほとんど統一的な見方ができない」小宇宙に見えてきて、12年に裁判官から学者に転じた。

自分は左翼ではないが、病を得て出世主義がくだらないことに見えてくると、創造的な本や論文を書くだけで神経を尖らす裁判所ではもはや居場所がなくなった。大学は根本的にはまともですから、まるで全体主義的共産主義社会から亡命してきたような気がした。

――『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』は、元裁判官が書いた裁判所批判として法曹界を震撼させました。

瀬木 従来の学者の分析は隔靴掻痒で、左翼からの批判は構造的包括的な批判が乏しかった。しかし官僚化による劣化は日本社会全体の現象です。閉じられた社会は歯止めが効かない。東大、京大、一橋など官学傾向の強い大学でも、創造力のある人材は外に出ていく。そうした劣化が行政官庁やジャーナリズムでも起きている。

このままだと、韓国に負けますよ。かつての韓国では学生も法律家も、日本の法律書を読んで勉強していたのに、最近は、キャリアシステムを止め、裁判官に弁護士を起用する「法曹一元化」に踏み切った。ロースクール(法科大学院)も日本の失敗を教訓に定着させ、司法試験には英語を採りいれて国際弁護士を増やした。韓国映画に負けた日本の映画と同じく、キャリアシステムを墨守する日本が、韓国の法曹界に見下される日が来かねません。

   

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