時代錯誤の「名ばかり産業医」

「労働者ストレスチェック制度」義務づけで馬脚。精神科や心療内科の医師はたった5%!

2016年2月号 LIFE

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昨年12月から、いよいよ従業員常時50人以上の事業所を対象に、労働者がストレスに関する質問に答えてメンタル不調を事前に防ぐ「ストレスチェック制度」が義務づけられた。だがこれをきっかけに、メンタルケアを担うべき「産業医」の頼りない実態が露わになっている。

産業医は労働者の健康管理や面接指導、労働環境の管理などが主な仕事で、労働者50人以上の事業所は1人以上を選任することが義務づけられている。ストレスチェック制度では、長時間労働やストレスが多い労働者が希望すれば医師による面接指導が行われることになっており、厚生労働省は、会社の実情をよく知る産業医が面接するのが望ましいという。しかし、適切な面接を行い、必要に応じて医療機関に紹介できる産業医がどれだけいるのか。当の産業医からも、不安の声が上がる有り様だ。

座学でとれる日医認定資格

厚労省によると、産業医は1972年、労働安全衛生法の成立とともに生まれた。当時は製造現場を中心に、工場で使う化学物質や換気不十分な環境により、体を害する労働者が多く、こうした労働環境を改善するために設けられた制度だった。

ところが、時代とともに産業構造が変わり、過酷な製造現場が減り、小売業やサービス業など第3次産業が増えた。今日の企業社会で問題になっているのは、うつ病などのメンタルヘルスだ。厚労省の調べでは、2014年度に精神疾患で労災申請をした人は、事務職や販売職などを筆頭に過去最高の1456人。認定数も年々右肩上がりで増えており、企業が本格的に労働者の精神面の管理を行わなければいけない時代になっている。

だがこれまで、メンタルヘルス面で産業医の養成や活動が強化されてきたとは言い難い。ストレスチェック制度のスタートで改めて浮かび上がるのは、専門性はもとより、産業医の活動実態そのものへの疑問だ。産業医制度は時代の変化に後れを取り、用をなさなくなっているようだ。

産業医の資格を持つ精神科医が語る。「産業医になるには、産業医を養成する産業医大を卒業するか、日本医師会(日医)の認定を取るかが一般的なルートだが、日医の認定は座学で取れますからね。私も認定は取りましたが、産業医の仕事をしたことはありません」。日医認定産業医の取得者は8万人を超え、医師の3、4人に一人は有資格者だが、その活動状況にはばらつきがある。

昨年8月、東京・池袋駅近くで乗用車が暴走し、通行人の命を奪う痛ましい事故が起きた。ハンドルを握っていたのは、父親から受け継いだ都内の診療所を営む50代の男性医師。とはいえ、男が診療所を開けていたのは週2日ほどで、主として企業の産業医などをしていたという。

産業医の実態に詳しい都内の精神科医は「フルタイムで働くのが難しかったり、開業医が副収入を得るアルバイト先にしていたり、産業医で働くのはいわゆる“ワケあり”の人材が多いんですよ」と明かす。

ある医療コンサルタントによると、産業医の収入は勤務実態により幅があり、大企業の専属産業医ともなれば、年収1500万円を超える。中には企業専属医として真剣に労働環境の改善に取り組む産業医もいるが、夜間も休日も呼び出され、身を粉にして働く30代の大学病院の小児科医はこう溜め息をつく。

「妻は産業医なんですが、呼び出しもなく週4日勤務で、収入は私とほとんど変わらないんですよ……」

妻は結婚を機に大病院を退職し、企業の専属産業医になったという。「患者の診療はほとんどせず、労働者の健康管理について企業側に助言する立場だから、コンサルタント業のようで気が楽だと言っています」と小児科医は苦笑する。だが職場の実態を把握しなければ、従業員の健康問題は見えてこない。本来、産業医の責務は決して「気楽」ではないはずだ。

うつ病を見逃せば裁判も

産業医の現状に危機感を持った厚労省は、ストレスチェック制度実施を控えた昨年9月下旬、「産業医制度の在り方に関する検討会」を設置した。会議冒頭、同省幹部は「産業医制度の発足から40年以上がたつが、これまで大きな見直しはされてこなかった。時代に即した産業医のあり方を検討する必要があるのではないか」と口火を切った。

検討会では、産業医の実態も数字で明るみに出た。日医が行った調査では、日医認定の産業医のうち、精神科や心療内科を専門とする医師はわずか5%。4割以上の産業医が内科医であり、メンタルケアはお寒いばかりだ。

さらに、この調査では、産業医の1カ月当たりの活動時間は2~5時間が最多であることも分かった。実に4人に3人の産業医が、月10時間未満という短い勤務実態なのだ。就業形態も、専属でなく嘱託の産業医が8割近くを占めていた。

検討会のメンバーは労・使と医療界などで構成され、12月には2回目が開かれた。チーム体制の必要性や小規模な職場の問題などについて多くの意見が交わされている。だが、産業医制度を見直すのは容易ではないという。「そもそもこの検討会は旧労働省が主管していて、保健医療政策を担う旧厚生省はからんでいない」(厚労省担当記者)。厚労省関係者は「産業医の世界は専門性の高い産業医大卒組と日医認定組とで分かれており、双方が納得する改革を進めるのは難しい」と漏らす。

ストレスチェック制度が始まり、産業医の責務は否応なく重くなっている。今、産業医の間で懸念されているのは、深刻な精神状態にある労働者を面接で見逃すリスクだ。「万一うつにより自殺した場合、民事裁判で産業医の責任が問われかねず、それを恐れて軽度なストレスでも重いと診断する例が出かねない」(ある産業医)

長時間労働や職場のハラスメントが社会問題となっている今、求められるのは、高いストレスを抱える労働者を見つけ出し、職場全体の環境改善につなげることができる産業医。時代に即した制度改革が不可避だ。

   

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