編集後記

2013年7月号 連載
by 宮

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民主党の馬淵澄夫幹事長代行(元国交相)は、2年前の6月11日、世界で一番「危ない現場」に赴いた。「そこは線量が高いですから、ここを歩いてください」と誘導を受け、水素爆発で崩れかかった4号機の建屋に入り、使用済み燃料プールを斜め下から見上げた。「内部はただ暗く、音もなく、においもない。五感で感じる世界と、頭で考える脅威が一致しません。我々は人智を超えるものを扱おうとしているのではないかという恐怖に押し潰されそうになりました」

当時、馬淵氏は首相補佐官として「最悪の事態」(放射能拡散)を封じ込めるプロジェクトを託され、4号機燃料プールの底部の補強工事をいち早く完了させた。ところが、もう一つの懸案であった「地下水汚染対策」(建屋に流れ込む地下水を防ぐ遮水壁工事)は、東電の猛反対に遭い頓挫した。その経緯は、出色の奮戦記『原発と政治のリアリズム』に描かれている。

5月30日、政府の汚染水処理対策委員会が、原発を包囲する「凍土遮水壁」設置を打ち出し、茂木敏充経産相が建設着工を指示した(本誌74頁)。これに先立ち、衆院経産委員会で質疑に立った馬淵氏は「阿武隈山系からの地下水流は深度が非常に浅く、原発サイトの真下を流れている。それが建屋内に滞留する高濃度汚染水と混ざり合い、海に漏洩している。港湾内で捕獲されたアイナメから1キロ当たり51万ベクレル(食品基準値の5100倍)の放射性セシウムが検出されたことが、何よりの証拠」と底知れぬリスクを訴え、経産相の決断を促した。

それにしても、東電はなぜ、遮水壁工事を嫌がったのか。「資金や作業の困難もあるが、そもそも地下水汚染は目に見えず、(事故直後は)数値にも表れない。どんなに危険だとわかっていても、目に見える恐怖でなければ、人は麻痺してしまう」と馬淵氏は述懐する。

   

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