イースター島からモアイ像がやってきた 復興へ南三陸 3度目の夏

モアイ像の贈呈式にチリから100名余が来訪。名物「キラキラ丼」のシーズンとなり、歌津地区で初めての福興市も開催された。観光をテコに復興の道を歩む町は今。

2013年7月号 INFORMATION
取材・構成/編集部 上野真理子

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東京、大阪での披露を経て南三陸町に贈呈されたモアイ像。プカオをかぶり、瞳も入った(左端アンドラッカ氏、右端トゥキ氏、中央は志津川高校の生徒たち)

海辺には更地が広がっていた

海からひんやりとした風が吹く、初夏の宮城県南三陸町。新緑に混じり、自生する藤の花が林野のあちこちで薄紫の花をつけている。

東日本大震災で被災後、町は3度目の夏を迎えようとしている。庁舎や住宅が並んでいた海沿いの町並みは、いま広大な更地となって土肌をさらす。ガレキや材木が集積され、重機が動き、沿岸では大規模なかさ上げ工事が続いている。

「ボランティア数は月平均5500人でしたが、今は4100人台。メディアの露出が減るとボランティアさんも減る。2年以上たち、それなりに風化が進んでいます」と語るのは南三陸町ボランティアセンター長の猪又隆弘氏。被災直後とはニーズが大きく変わってきたが、この町では今も大いに支援を必要としている。高台に並ぶ仮設住宅に住む被災者たちが生きる希望を持てるよう、これからは楽しいイベントの企画などソフトのボランティアが要る、という。

復興への道は始まったばかり。数十年はかかるだろう。その重たい現実は避けようもないが、初夏の陽射しは明るい。

式典で見えたチリとの絆

5月25日、週末の志津川地区。仮設の店舗が並ぶ「南三陸さんさん商店街」は大勢の人で賑わっていた。5月~8月に町内で味わえるのが「キラキラ丼」。地物の新鮮なウニがたっぷり載ったウニ丼で、ランチを提供する店はどこも盛況だ。

歌津地区初の福興市。町のゆるキャラ「オクトパス君」も登場

さんさん商店街の「キラキラ丼」

この日、商店街に隣接した広場で「モアイ贈呈式」が行われた。南三陸で40名余の死者を出したチリ地震津波(1960年)30周年を記念し設置されたモアイ像が、2年前の震災で津波に流された。それを知った日本とチリの経済人が協力。チリ国民からの義援金でイースター島の石を使った新しいモアイ像を作り、町に贈呈したのである。チリからは政府関係者や経済人、報道陣ら100名以上が集結。日本側も、春に3人がチリに招待され短期滞在した志津川高校の生徒たちや佐藤仁町長をはじめ、民間のチリ親善団体関係者ら多彩な顔ぶれが出席した。

チリと日本の国旗が海風ではためく中、モアイ製作に当たったイースター島の彫刻家、ベネディクト・トゥキ氏がモアイに珊瑚でできた目を入れた。熱のこもったスピーチが続く。

「チリの国民は、南三陸町が海の偉大さと豊穣を享受し、穏やかに繁栄し、人々が幸せであることを見たい、そんな願いをこのモアイにこめています」そう話したのは、モアイ像寄贈に尽力した日智経済委員会のチリ側委員長、ロベルト・デ・アンドラッカ氏。日本と同様、南北に細長い国であるチリでは、2010年にも大地震が発生、津波被害が起きている。日本側委員長としてプロジェクトを実現するため当初から尽力してきた佐々木幹夫氏(三菱商事相談役)は「このモアイ像にはチリ国民のあふれんばかりの善意が込められているのです」と語り、感無量の表情を見せた。太平洋の豊かさと冷酷さを身をもって知るチリと日本。式典後、モアイを前に、共に写真を撮り笑顔を見せる日智両国の人々の姿があった。プロジェクトを支えた深い共感と友情の一端がかいま見えた。

翌日は歌津地区「伊里前福幸商店街」隣で「つつじまつり福興市」が開催された。町の福興市は震災直後から月1度開かれ、これまでに延べ約1万5千人が来訪しているが、歌津地区としては初めて。チリからの報道陣も取材に訪れた。

歌津地区でも初めての福興市

田束山のツツジの向こうに町の沿岸部が見える

手作りのアクセサリーや菓子を売る店、モアイや南三陸のキャラクターグッズを売る店、海産物店、高校生たち主催の実験体験コーナー……。県外からの出店やイベントなどもあり、地元・他所問わず朝から多くの人が集まった。すぐそばには津波で落ちた歌津大橋。この賑わいは、町の希望の灯のようにも見える。商店街から車で20分ほどの田束山(たつがねさん)のてっぺんにはヤマツツジが群生しており、5月末から6月初めが見頃。山頂近くはようやく春を迎え、ツツジで赤く染まっていた。

高台移転を決意した町。観光協会では震災の「語り部ガイドプロジェクト」などを企画し、ツアー客も呼び込む。週末の民宿は宿泊客でいっぱいだ。そんな町に、早くも人気者になりつつある新しいモアイ像が静かに佇んでいた。沿岸部に計画する復興祈念公園に移る予定だが、何年先か。町の移りゆく姿は鏡に映った我々自身の姿でもある。

   

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