「命も要らず、名も要らず…」。3人の頑固者がこの難局をどう乗り切るのか、見ものだ。
2012年6月号
BUSINESS
特別寄稿 : by 田勢康弘(政治コラムニスト)
細川評は「西郷隆盛のような男」
Jiji Press
中曽根康弘の後継をめぐって竹下登、安倍晋太郎、宮澤喜一の3人が競り合っていたころ、もう四半世紀も前のことだが、竹下評を訊いた私に宮澤喜一がこう言った。「だってあの方、県会議員でしょ」。宮澤は県会議員出身の政治家で総理になった者はいない、という政界のジンクスについて言及したのである。人一倍プライドの高い宮澤ならではの言葉だった。しかし竹下は宮澤より早く、初の県議出身の総理になった。そしていま、県議出身2人目の総理が野田佳彦なのである。偶然ではあるが、野田も竹下同様、早稲田大学の出身で、政治手法は驚くほど似ている。
庶民の中から出て来た総理という意味では、野田が初めてかもしれない。かつて田中角栄は庶民宰相といわれていたが、若くして経営者になり、庶民という言葉からは遠い存在だった。野田の父親は富山県の農家の6人兄弟の末っ子で、自衛隊の前身の警察予備隊に入隊した自衛官だった。陸上自衛隊習志野駐屯地に勤務しているときに、千葉の農家出身の女性と結婚し、野田と弟(船橋市議)が誕生した。
野田は船橋市で育ち、薬円台小学校、二宮中学校、県立船橋高校と公立の学校で学び、早稲田大学の政治経済学部政治学科に入学する。高校まで生まれ育った土地の公立学校で学んだという総理は、それほど多くない。最近では小泉純一郎(神奈川県立横須賀高校)ぐらいだろうか。いわばその辺にたくさんいる普通のサラリーマン家庭から出て来た総理である。松下政経塾で評議員をしていた細川護煕に会わなければ、日本新党から国政に出る事もなかっただろう。
船橋や津田沼の駅前での朝夕の演説は有名だ。足を止めて聴いてくれる人のほとんどいない通勤客相手の演説が、のちに民主党代表選で有名になった「どじょう演説」となり、決選投票での大逆転劇に繋がった。
松下政経塾時代の野田について細川護煕は私にこう語ったことがある。「どっしりと落ち着いていて寡黙。西郷隆盛のような男だった」。指導者についてさまざまな文章も書いている細川の見立てだから、西郷という庶民の英雄の名を出したのは故なきことではないだろう。私も野田に同じような印象を持っている。野田が総理に指名された日、人を介して短いメッセージをメモにして送った。「やろうと思う事を貫く事。それに命をかけて、ダメならば命を捨てればいい」というような内容のものだった。西郷南洲遺訓の中の「命も要らず、名も要らず、官位も金も要らぬ人は仕末に困るもの也。この仕末に困る人ならでは艱難を共にして国家の大業は成し得られぬ也」を意識してのものである。
それかあらぬか野田は消費税引き上げに「命をかける」と言い切った。「大げさだ」と必ずしも評判はよくないが、それでいいと思う。国民を説得できるとすれば、命を捨てる覚悟しかない。もちろん、それでも展望は開けてこないが、他に方法はない。この野田を懸命に支えているのが副総理の岡田克也と民主党幹事長の輿石東である。2人とも原理主義者に近い。頑固である。そしてぶれない。野田を含めた3人のぶれない頑固者が、この難局をどう乗り切るのか。輿石は小沢一郎に近いといわれているが、その見方は必ずしも正しくない。輿石はバランスを大事にする政治家で、何よりも党内融和が大事だと考えている。政局混迷で野田と小沢の全面戦争という事態になれば、輿石は野田につく、と私は思う。古い政治家で「総理」という地位の威信を大事に考える政治家だ。輿石に親近感を感じている政治家が自民党に多いのは、「決してウソをつかない」といわれるその手法が、かつて山梨の同じ中選挙区で戦った金丸信元自民党副総裁に似ているからではないか。輿石は金丸の命日に必ず墓参りをするが、選挙で戦った相手の墓参を続ける政治家はほかに知らない。自民党の派閥の領袖の一人は、「毎年、自分より先に輿石さんが墓参りしたあとがある。頭が下がる」と語る。
「日本の総理大臣は最低だ。毎年総理が代わる国のなんと情けないことか」。あなたもきっとそう思っておられるだろう。きっと日本ほど政治レベルの低い国は、少なくとも先進国にはないのではないか。そうも思っておられるに違いない。あるいは政治家のレベルは国民のレベルというから、きっと国民のレベルが低いのだ、と考える人もいるだろう。
レベルが低いかどうかは何を基準にしているのだろうか。きっと比較の問題ではなく絶対的低レベルと考える人が多数だろう。日本の政治家はたしかに毎年代わる。小泉純一郎首相のあと安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦と6人の総理が誕生したが、6人の在任期間の合計が小泉総理の在任期間とほぼ同じなのである。では日本だけがなぜ国家運営の最高責任者の在任期間が短いのか。理由は二つある。ひとつは総理大臣としての任期の定めがなく、代わりに与党の党首としての任期があること。任期の定めがないということは在任期間が長くなりそうなものだが、それを党首としての任期が妨げている。もう一つの理由は国政選挙が毎年のようにあり、選挙を有利にするため党首交代を求める声が足元からわき起こるからである。
ではなぜ、国政レベルの選挙が多いのか。憲法の歪んだ解釈がいつの間にか定着してしまったからである。歪んだ解釈とは「衆議院を解散する権利、いわゆる解散権は総理大臣の専権事項」というものである。衆議院議員の任期は4年間だが、平均すると2年以内に解散・総選挙となっている。この解散は憲法7条を根拠にした「7条解散」といわれるもので、憲法解釈上、問題があると、私は思っている。7条とは「天皇の国事行為」について定めた条項で10項目の天皇のなすべきことについて記している。その3項に「衆議院を解散する」となっている。憲法を素直に読めば、解散するのは「天皇」なのである。ただし7条のはじめに国事行為にあたっては「内閣の助言と承認により」となっている。現行憲法では天皇が政治的意思を表明しないことを前提としているので、「内閣の助言と承認」が拡大解釈され、「解散は総理の固有の権利」といわれるようになってしまったのである。天皇の解散詔書には「日本国憲法第7条により衆議院を解散する」となっている。この文章には主語がない。だれが解散するのか明確でない。旧帝国憲法下では「朕帝国憲法第七條ニ依リ衆議院ノ解散ヲ命ス」となっていた。現行憲法下では「朕」のないあいまいな表現になっている。
本来、衆議院の解散は憲法第69条によるものが正統だと思う。69条はこう定める。「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」。69条による解散は、数え方にもよるが、戦後3回しかない。7条解散が乱発されることにより、政治家は一年中、解散風に怯えながら選挙の準備をしていなければならなくなった。おまけに小選挙区制で勝つためには中選挙区制時代とは比較にならないほどきめ細かな選挙運動が必要となる。
政治の軸が「選挙」になることによって、大きな政党は選挙向けの党首を求めるようになり、政策もポピュリズムに走りがちになる。この傾向を後押ししているのが、メディアによる世論調査である。わが国ではすべての全国紙、テレビのネット局、大手通信社が、ほぼ毎月、世論調査を行い、大きく報道する。これほどたくさんのメディアが、それも毎月、別々に世論調査をする国は日本以外にはない。好きか嫌いかを感覚的に判断する有権者の反応しだいで、内閣の命運が決まってしまう。野田内閣でいえば、2011年9月発足当初は60%程度だった内閣支持率が、発足8カ月でだいたい20%台の危険水域に入っている。この数字は無罪判決を手にした小沢一郎の行動しだいではさらに落ちるだろう。1年で総理が交代する日本の“伝統”がまた繰り返されることになりかねない。
世界を見回してみれば、いずれの国でも政治への不信が強まり、政治が機能しなくなっていることがわかる。大統領選さなかの米国でも、オバマ大統領誕生のときのような熱気はない。金融危機の欧州ではさらに深刻だ。フランス大統領選など不毛の選択を国民に強いているようなものだった。このことからわかるのは、民主主義という国家統治のシステムが限界にきているということではないだろうか。情報革命や金融マーケットのスピードに政治が追いついていけない。財政は悪化の一方だが、選挙を意識して政治家は国民が喜びそうな政策を打ち出す。それは単なるポピュリズムで財政はさらに悪化する。いずれの先進国もこうした負のスパイラルにはまり込んでいるように思う。
1千兆円も借金を抱えた国がバラ色の未来を国民に打ち出すなどあり得ないのだ。一番大事なことは、国を滅ぼさないこと、国民を路頭に迷わさないことだ。与党だとか野党だとか、矮小な戦いなど国民には迷惑だ。まず、やるべきことをすぐにもやり遂げてほしい。それは①原発の処理、②被災地の復興、③消費税引き上げ、④しっかりした外交の確立――などだろう。野田総理をだれかに代えてみても、絶対に問題は解決しない。一度総理を選んだら、2、3年は我慢して任せてみることが必要だ。まるでどこかに「星の王子さま」でもいるかのような無責任な世論。結局、問題は世論なのだ。日本のメディアがまったく評価していない野田総理をワシントン・ポスト紙が褒め上げ、米政府も小泉総理以来の「日米共同声明」発表となった。政治家を褒めた経験のない日本のメディアも政治不信増幅の共同正犯なのである。(敬称略)