「親孝行しすぎ」が国を滅ぼす

将来どれだけの増税が必要か。筆者の試算では2060年の消費税率は68.5%に!

2012年6月号 DEEP
特別寄稿 : by 原田泰(早稲田大学政経学部教授)

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超高齢社会に向かう日本だからこそ、消費税を引き上げることが責任ある政治だと論ずる人が多い。しかし、そのような議論はまったくの誤りである。消費税を少しばかり上げても、現在の高齢者が享受している社会保障水準を守ることなどできはしない。したがって、政治家が国民に訴えなくてはならないのは、消費税の増税ではなく社会保障水準の引き下げである。

国民の前で嘘をつくな

このことは簡単な計算で分かる。現在、高齢者向けの社会保障給付費(年金、65歳以上医療費など)は、65歳以上人口当たり281万円である。一方、高齢者以外向けの社会保障給付費は33万円にすぎない(国立社会保障・人口問題研究所「社会保障統計年報データベース」などにより計算)。

これらの数字から、一人当たり社会保障給付費が変わらないとすれば、国立社会保障・人口問題研究所の人口予測を用いて、将来の社会保障費を簡単に予測できる。一方、将来の名目GD
P(国内総生産)を生産年齢(15~64歳)人口一人当たりのGDPが変わらないとして予測する。すると、2 01 0年に、名目GDPの24.3%であった社会保障費は40年には39.3%、50年には43.4%、60年には44.9%にまで上昇する。

ここで物価を考えていないのは、比率で考えているからである。物価が上がれば、分母の名目GDPも上がるが、インフレ条項の付いている分子の年金も上がる。したがって、物価が上がっても、この比率は大きくは変化しない。しかし、それでも、生産性が上がれば実質GDPも上がる。単に物価が上がるのではないから年金などは上がらない。だから、比率は下がるという批判があるだろう。

だが、実質GDPが上がるとは実質賃金が上がるということである。生産性が上がれば社会保障を維持できるとは、現役世代の賃金が上がっても年金も医療費も上げないということである。これはそう簡単なことではない。であるなら、私の方法をまずは議論の出発点とすることが許されるだろう。

私の試算を前提に、将来どれだけの消費税増税が必要かを考えてみよう。GDP比で24.3%の社会保障費が2060年には44.9%になるのだから、その差、GDPの20.6%分の税収が新たに必要になる。消費税1%でGDPの0.5%の税収とされているので、必要な消費税率の引き上げ幅は、20.6%÷0.5=41.2%である。しかも、これだけで話は終わらない。これは高齢者を含めた国民全体で41.2%の消費税を新たに負担するということである。ところが、現在でも、消費税は逆進的だから上げるときには税金を還付するという話になっている。これまでも、消費税を導入、税率を引き上げた時には、消費税で物価が上がるのはインフレと同じとして年金支給額を引き上げている。これでは高齢者は消費税を負担しないのと同じである。消費税を高齢者が負担しないのであれば、残りの国民が負担するしかない。2060年には高齢者は人口の39.9%を占めているので、残りの国民は60.1%しかいない。これらの人々
のみが消費税を負担するなら、41.2÷0.601=68.5%の消費税が必要となる。

私の計算を信じない方も多いと思う。だからこそ、各党がお気に入りの学者や役人に試算を頼み、2060年にどうなるかを明らかにしてほしい。その上で、学者、役人、政治家入り交じって、国民の前で議論してほしい。嘘をつかない限り(こういう議論をすれば嘘はばれる)、私の数字と大きく異なる数字は得られないだろう。

親よりも子どもが大事

親孝行は大切である。年老いた親をいたわり、食事を用意するのは人間だけである。懸命に子育てする動物や鳥は多いが、年老いた親のために子どもが餌を取ってくるという動物はいない。確かに、現行の年金制度が確立する前から、現在の高齢者も、それ以前の高齢者も、年老いた親の世話をしてきた。しかし、現行の高齢者福祉制度ほど親孝行をしてきたはずはない。

65歳以上の高齢者の一人当たりの福祉支出は前述のように年間281万円である。夫婦2人なら562万円である。一方、平均給与は年412万円である(国税庁「平成22年分民間給与実態統計調査結果」〈2011年9月〉)。年収412万円の子どもが、年に562万円もの仕送りをしてきたはずはない。子どもは確かに親の面倒を見てきたが、食事と寝る場所を提供してきただけだった。それだけなら、年に一人100万円もあれば足りるだろう。高齢者が、自分の子どもの親孝行に頼っていた時代には、年に100万円程度のことで、自分の子どもは親孝行だと喜んでいた。そもそも、昔だって、すべての子どもが最低限の親孝行をしてくれるわけではなかったからだ。親を放り出して、行方不明になってしまう子どもなどいくらでもいた。ところが、年金制度や高齢者のための医療保険制度ができ、他人の子どもに頼るようになると、際限がなくなってくる。社会保障制度ができ、国家権力が必ず自分の老後を保障してくれるとなって、子どもすらも産まなくなった。何かおかしくはないか。

江戸時代、親の借金のかたや薬代に娘が身売りすると50両が手に入った。歌舞伎や落語の『文七元結』ではそうなっている。1両は現在のお金で10万円ということだから500万円である。芝居の話だから稀なことであるに違いない。もちろん、一生一度のことである。それ以上のお金を毎年当然のように得ているということ自体が間違っていたと納得するしかない。

親孝行は大切である。しかし、日本人が、この小さな島で豊かで平和で楽しい社会を作り上げることができたのは、親と先祖を大事に、彼らの作ったものを営々と守りながら、かつ、子どものより良い未来のために働いてきたからではないだろうか。

過度の、しかも、他人の親に親孝行を強制するような制度は国を滅ぼす。さらに、その制度を持続させることが国家100年の大計の責任ある態度と論ずる人が出るに至っては、もはや日本という国家が滅んでいると言うべきだ。

著者プロフィール
原田泰

原田泰(はらだ・ゆたか)

早稲田大学政経学部教授

1950年生まれ。東大農学部卒。経済企画庁を経てエコノミストとして活躍。石橋湛山賞受賞。今春より現職。近著に『震災復興 欺瞞の構図』。

   

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