「ぶら下がり」中止は当然

2011年11月号 連載 [硯の海 当世「言の葉」考 第67回]
by 田勢康弘(政治コラムニスト)

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記者会見で挙手する記者をみる野田佳彦首相(9月30日)

Jiji Press

内閣総理大臣に1日に2回、政治部へ配属されてまだ1年足らずの若い総理番記者たちが質問する。これが「ぶら下がり」取材というものである。政治家にぶら下がるようにして記者たちが囲むので「ぶら下がり」と呼ぶのだと、番記者たちでさえ、誤解している。ほんとうはマイクを束ねて政治家の前にぶら下げるからぶら下がり取材と言うようになったのだ。福田赳夫首相時代の福田・大平正芳対決から始まったが、きちんとした形になったのは、小泉純一郎首相からである。

1日に2回もメディアの質問を受ける大統領や首相が果たして他国にいるだろうか。質問する記者たちは政治記者になりたてのいわばまだ訓練生にすぎない。政治の知識もなく政治家の顔さえ満足に知らない記者たちが、質問を浴びせる。そばで見ていて、一国の首相に対する言葉遣いがまるでなっていないな、と感じたこともある。記者たちはまだ駆け出しなので、首相が何を発言しても、自分たちで報道すべきかどうかを判断することはない。上司であるキャップや本社のデスクに発言内容をメールで伝達するだけだ。

この「ぶら下がり取材」がともすればメディアによる「言葉狩り」になり、首相の政治的寿命を縮める。これをなくさなければ、政治はよくならないし、毎年首相が変わるというわが国の恥ずかしい状況も変わらない、とずっとそう思ってきた。野田佳彦首相の「ぶら下がりをやめて定期的な記者会見方式にしたい」という決断は評価したい。これは国民の知る権利を封じ込めるものなどではなくメディアへの報道管制でもない。ぶら下がり取材を有効に活用できたのは小泉首相だけだ。小泉氏はメディアの特性を熟知していた。

テレビが流す首相の言葉は、普通は7、8秒しかない。それ以上長く話すと、編集で切られてしまい、言いたいことが伝わらないだけではなく、編集によって真意と異なる放送内容になることも少なくない。小泉氏の特徴である短いフレーズは、編集を拒否するための「技」だったのである。

政治記者だった私は佐藤栄作首相の末期と、田中角栄首相の初期にいわゆる番記者だった。佐藤首相はほとんど何も答えない。機嫌が悪いと両手をいっぱいに広げ、ここから内側には近寄るな、と番記者をどなった。記者会見で「新聞記者は出て行け」と叫んだあのころだったせいか、マスコミの取材にはピリピリしていた。それでもこちらも商売、何も尋ねないというわけにはいかない。そこでその日の「聞き役」に当たった記者は、冒頭、首相の顔色をうかがいながら、こう切り出す。「総理!」と大声で叫び、こちらを向いたらこう続ける。「お叱りを覚悟でお尋ねします」。「おう、何かね」という返事が返ってきたらたたみかけるが、無言ならそこまで。若い番記者が震えてしまうぐらいの威圧感があった。「総理、おはようございます」と声を出して「いやぁ、おはよう」などと返事が返ってきたりすれば、その日どころか、1週間ぐらいずっとうれしかったものである。

野田首相がぶら下がり取材を取りやめたことについて朝日新聞は「首相の声 届きますか」という記事を載せた(2011年10月4日付朝刊)。ぶら下がりも、あるいは言葉を追うだけの取材でも、首相の真意が伝わることはまずない。むしろ、政権衰弱につながってゆく発火点になっているのだ。たとえば森喜朗首相の「神の国」発言。2000年5月、森首相はこう述べた。「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知していただく」。これに対して朝日新聞などが「国民主権や政教分離に反するものではないか」と批判、紛糾した。これをきっかけにして森内閣は支持率を下げていく。森首相の発言はいわずもがなといった感じもするが、発言したのが「神道政治連盟国会議員懇談会」で、出席者の大半が神主だったことを考えれば、そう大騒ぎするようなことではなかったのだ。

メディアによる「言葉狩り」の傾向は民主党政権になってからより強まっている。野田政権ではまず、一川保夫防衛相の就任直後の発言である。「安全保障には素人だが、それこそがシビリアン・コントロール」と言った。情けない発言だが、素人であることは覆い隠せない事実なのだから、発言自体は責められるべきものではない。責められるべきなのはそういう人を防衛相に任命した首相だろう。続いて鉢呂吉雄前経済産業相。野田首相とともに福島第一原発周辺を視察したのち、記者会見で「市街地は人っ子一人いない、まさに死の街という形だった」と述べて、福島県民の心を踏みにじるものと批判を浴び、発言を撤回。その後、新聞記者に「放射能をつけるぞ」という仕草をしたと報じられたことで辞任した。脇が甘いという批判はあるだろうが、果たして辞任しなければならないようなことを言ったのだろうか。人の姿のない街並をみたら、死の街だ、と感じることはあるだろう。問題はその死の街をいかにして再生するかだ、と言えばよかったのかどうか。死の街ではなく、英語でゴーストタウンと言っておけば、辞めずに済んだのか。

言葉狩りに遭わぬような慎重なものの言い方をすれば、安全運転で面白みに欠けるとか、逃げ腰とか、書かれてしまう。就任1カ月の野田首相は、失政と呼ばれるようなことはしていない。といっても、積極的に評価されるようなこともしていないのである。まだ、1カ月、何もしていないのに、支持率が内閣発足時から下がったとメディアは書く。この内閣支持率が首相の政治寿命を縮めるのである。野田首相は当分、解散・総選挙はしないと断言しているので、さすがに浮き足立ってはいないが、選挙が近いかもしれないとなると、与党議員はこの首相では自分の当選が危うくなる、と引きずり降ろしに回るのだ。自民党政権時代から、この傾向は変わらない。

野田首相がぶら下がりをやめると宣言したことにより、短命で退陣に追い込まれる要素が一つ減った。ぶら下がりがあだになった鳩山由紀夫元首相は「野田首相はぼくを反面教師にしているのではないか」と述べたが、その通りだ。ぶら下がりさえなければ、いまごろまだ、鳩山政権だったかもしれないのだ。メディアが言葉狩りばかり続けていると、政治家はものを言わなくなる。もうすでにその傾向は強まっているが、政治の世界で自由闊達な議論ができないようでは、とても民主国家を標榜する資格はない。大事なことはメディアに挑発されて口を開くことよりも、まず実行することなのだ。

著者プロフィール
田勢康弘

田勢康弘(たせ・やすひろ)

政治コラムニスト

早稲田大学卒。日本経済新聞社ワシントン支局長、編集委員、論説副主幹、コラムニストなどを歴任し、2006年3月末に同社を退社。4月から早稲田大学大学院公共経営研究科教授、日本経済新聞客員コラムニスト。

   

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