福島県民がもがく「原発蟻地獄」

新総理の下で「安全神話復活」の足音。職を失った住民は除染作業で糊口を凌ぐ悲しい運命。

2011年11月号 LIFE

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南相馬市立石神第一小学校の除染風景(10月1日)

どんなに衝撃的な事件でも半年も経てば記憶が薄れ、問題の本質を見失いがちになる。東京電力福島第一原子力発電所の事故も問題の本質があいまいにされ、当事者の責任追及は損害賠償という手続きに紛れて霞んでいる。

地域独占の見直し、発送電分離、原発国家管理など電力業界のあり方をめぐる議論は影が薄くなった。政界や経済界では東電をかばう力学が働いているようだ。問題の本質を逸らす動きが見え隠れしている。

野田政権は実務型で手順を踏むことを重視し、政権が思いつきで動くことはなくなった。だがそれだけに、本質に関わる問題をどう考えるのかはあいまいにしている。電力業界の利権構図に関わる問題に取り組もうとすれば、政権の足を引っ張る動きが顕在化する。だから発言も慎重だ。

エネルギーや原発政策については、経済産業省の総合資源エネルギー調査会でエネルギー基本計画が、内閣府の原子力委員会で原子力政策大綱がそれぞれ見直し作業に入った。審議のメンバーには脱原発派も入ったが、大勢は原発推進派。官僚は電力業界との距離感を欠いている。両組織での見直しの結論を待って方向性を示す構えの野田政権は、脱原発からじんわりと軸足を変える可能性がある。

東電の査定で決まる賠償額

野田佳彦首相は9月下旬、国連の原子力安全に関する首脳会合で「日本の原発の安全性を世界最高水準に高める」と表明した。安全強化は当然のように見えるが、「世界最高水準に」という言葉には安全神話にもたれて手抜きをしてきた過ちの反省が感じられない。防災対策は、大事故が起きる可能性はゼロではないというのが前提だ。今更安全神話を復活させるつもりなのか。

福島原発では事故時に中央指揮所となるオフサイトセンターが機能せず、広域の避難計画もなくて大混乱した。いまも運転中の原発があるのに、その見直しさえできていない。同じような大事故はもう起きないとタカをくくっているように見える。

9月中旬から福島原発事故の損害賠償の手続きが始まった。被災者に配布された申請の書類は役所的といわれる東電の体質そのもの。被災者に気配りはせず、煩雑で事細かな記載を求めて賠償額を抑えようという意図がありありだ。合意書の見本に入っていた「一切の異議・追加の請求を申し立てない」という文言はさすがに顰蹙を買い、枝野幸男経済産業相も改善を指示した。しかし、被災者に病歴やカルテの開示を承諾させるなど強引な側面は否めない。

賠償は文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会が8月上旬に出した中間指針をもとに進められる。形式的には指針に沿うことになっているが、賠償額を査定し決定するのはあくまで東電。東電の恣意的判断を許し、東電のさじ加減で決まる。政府の「東京電力に関する経営・財務調査委員会」がまとめた報告書によれば、原発事故に絡む損害賠償の見積もり額は当初の2年間で約4兆5千億円。東電は賠償をケチろうと、細かに査定するだろう。

もちろん、被災者は賠償額に不満があれば原子力損害賠償紛争解決センターに異議を申し立てられる。しかし、被災者が細かな査定にいちいち反論するには気力も労力もいる。

紛争解決センター自体、被災者に配慮しているとは言い難い。センターの設置場所は東京と福島県の郡山市。申立ては郵送で受け付け、和解の仲介手続きは場合によって東京、郡山市以外でも行えるとしている。しかし、福島県では全域に被害が及んでいるから、申立てに対しすべて被災者のもとに出向いて仲介手続きがなされるかは疑わしい。

福島県は事故原発周辺の交通網が遮断され、交通の便が悪くなっている。そのなかを郡山市まで出向く可能性があるというだけでも、被災者に異議をあきらめさせる心理的な圧力をかけていると言えるだろう。紛争解決センターは国の機関である。事故の賠償は一義的に東電の責任だが、国も東電と一緒で、賠償額を抑えたいという意識が働いている。

賠償額は被災状況によって変わる。避難の苦労は同じでも住居が20キロ圏の警戒区域か20~30キロ圏の緊急避難準備区域か、それ以外かで賠償額は違ってくる。この差別化はかなりの曲者で、東電の作為が働く余地がある。地域内に三つの区域がある自治体の関係者は「復興に向けて住民の心を一つにしなければならないのに、金で住民の心がずたずたに分断されるかもしれない」と警戒感を隠さない。

原子力ムラは金をばらまくことで住民を懐柔してきた。だが事故を受け、福島県では原発はこりごりと脱原発を口にする自治体も出始めている。東北電力の原発建設が計画されていた南相馬市や浪江町は立地交付金を辞退することを決めた。ただ東電の恣意が働く賠償の仕組みでは、脱原発に転じた自治体への嫌がらせ、住民の分断もあり得ぬことではない。

「原発依存脱却」は至難

政府は9月下旬に20~30キロ圏の5自治体に対して「緊急避難準備区域」の指定を解除した。だが半年以上の避難で留守宅は荒れ放題、放射能汚染の不安もある。だから指定解除されても、住民は即帰宅にはなりそうにない。

被災地域の住民にとって深刻なのは、避難先から戻っても職探しに窮することだ。専業農家も夏に耕作を放棄していたから、生活の糧をどこに求めるのか苦しむだろう。まして勤め人は就職口を探すのが容易ではない。

一方、福島原発自体は後始末に作業員が足りない。福島原発に向かう作業員の集合拠点、楢葉町のJヴィレッジやその周辺にはプレハブの仮設宿舎があちこちに設置されている。近隣の広野町では住民が全員避難しているのにアパートは作業員で満杯といわれるほどだ。緊急避難準備区域の住民は職探しが思うように進まなければ、除染作業に職を求めるか、原発後始末で糊口を凌ぐことになるだろう。

こうなると東電は、厄介な負の遺産であっても雇用を生んでいると開き直りかねない。そのうちに地元の足元を見て福島第二原子力発電所や福島第一原発で事故を免れた5号機、6号機の運転再開まで言い出す可能性もなきにしもあらずだ。

農家は放射能汚染の風評被害に悩み、水産物は海の汚染で復活のメドが立たない。原発に反発しながらも、直接にせよ間接にせよ原発でしか生活や地域経済が成り立たないという矛盾。そのなかで福島県をどう再生するのか。県はビジョンを示しきれていないが、ビジョンがなければ周辺市町村や県は、原発という「蟻地獄」でもがくことになってしまう。

野田首相は「福島県の再生なくして日本の再生なし」と繰り返し表明している。除染作業で雇用をつくるだけでは将来展望は開けない。少なくとも福島県が原発依存から脱却できる選択肢を、早々に用意すべきではないか。

   

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