「日本同情」中国メディアに党が大慌て

“市場系メディア”が震災報道をリード。四川大地震との比較を政権批判に転化させまいと緊急通知したが。

2011年5月号 GLOBAL

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東日本大震災の前日の3月10日、中国でも雲南省盈江県でマグニチュード5.8の地震が発生し25人以上が死亡、200人以上が負傷した。にもかかわらず、中国での報道の扱いは小さかった。

雲南省は地震の多発地帯であり、M5.8クラスの地震は珍しくないこともあるが、最大の理由は毎年3月上旬に開催される全国人民代表大会と中国人民政治協商会議(両会)の会期中だったからだ。共産党中央宣伝部(中宣部)が両会の報道を最優先するようメディアを指導していたため、雲南の地震のニュースは隅に追いやられたのである。

だが、翌11日に日本を襲った大地震は、中宣部とメディアの関係に想定外の“激震”をもたらした。新華社など一部の政府系メディアが海外ニュースを独占してきた体制に、にわかに亀裂が生じたのだ。

日本でM8.8(後にM9.0に修正)の大地震が発生したという第一報は、政府系メディアが報じる前にインターネットを通じて中国に伝わった。2008年に8万人以上の命を奪った四川大地震(M8.0)を超える規模だったうえ、東日本沿岸で大津波が発生したという続報が入り、多くの中国人が甚大な被害が出ると直感した。

政府系メディアに批判の声

そんななか、北京の「新京報」や「新世紀」、広州の「南方都市報」などの“市場系メディア”が11日午後のうちに被災地への記者派遣を決定する。日本大使館に「直ちに取材ビザを発給してもらいたい」と異例の要望を出した。日本大使館は通常1週間以上かかるビザ申請手続きを1日に短縮して対応し、翌日には複数の中国人記者が日本に飛んだ。また、一部のメディアは日本で暮らす中国人留学生などに連絡を取り「臨時特派員」に指名した。こうして3月12日には、市場系メディアによる現場報道がスタートした。

“市場系メディア”とは、経営にかかる費用を中国政府の予算に依存せず、広告収入などで独自に賄うメディアの総称だ。読者の支持を得て発行部数を伸ばさなければ広告が集まらないため、内容はおのずから読者に近い視点になり、共産党の“宣伝”を至上の任務とする政府系メディアとは一線を画す。北京、上海、広州、深圳などの大都市を地盤とする市場系メディアは、一般市民への実質的影響力ではすでに政府系メディアを凌駕しているのが実態だ。

しかし中国政府の規定では、メディアが海外に記者を常駐させるには外務省や中宣部の許可を得なければならない。日本に特派員を置いているのは新華社、人民日報、中国中央テレビなど中央政府直轄の大手メディアがほとんど。市場系メディアが正式に許可された前例はない。また、中宣部は海外ニュースについて新華社などの“公式報道”を引用するようメディアを指導している。市場系メディアによる独自報道はこれまでタブーだったのだ。

東日本大震災の報道は、このタブーを初めて打ち破った。日本の被災地に入った市場系メディアの記者たちは、政府系メディアとは違う視点のニュースを続々と送り、中国での震災関連報道をリードした。結果として、政府系メディアの論調も市場系メディアのそれに引っぱられる格好になったのである。

中宣部はこれに慌てた。市場系メディアの報道の大半が日本の被災者に深く「同情」し、混乱の中でも秩序を失わない日本人に「敬意」を表するものだったからだ。さらに、日本に記者を派遣しなかった各地の地方紙も市場系メディアの現地報道を続々と転載。その結果、政府系メディアの影響力低下がますます顕著になってしまった。

市場系メディアの記者は、政府系メディアの記者のような「政治的に正しい記事」を書く教育は受けていない。日本に対する無知による誤報も少なくなかったが、総じて言えば、日本に関して客観的かつ公正な報道がかつてないほど大量に行われた。と同時に、インターネット上では政府系メディアの報道姿勢に批判の声が噴出した。世界の関心が日本の震災に集中しているというのに、政府系メディアの新聞第1面トップは相変わらず両会だったからだ。

メディアの日本同情が民衆の政権批判に転化すれば、共産党政権にとってはとんだトバッチリだ。中宣部は緊急の通知を出し、震災関連報道の比率を下げて両会の報道を優先するようメディアに改めて命じた。さらに、日本駐在を正式に許可されたメディア以外の記者は直ちに帰国するよう指示。報道の中で日本人が「冷静に」「秩序正しく」行動していることばかり強調しないことや、日本の建物の耐震性を四川大地震で倒壊した中国の建物と比較しないことなど、具体的な内容にも口を挟み始めた。

なかでも四川大地震との比較は敏感な問題だった。四川大地震では手抜き工事の小学校の校舎が倒壊して多数の子供たちが犠牲になったが、地元政府や建設業者の責任はうやむやにされ、民衆の怒りを買った。一方、東日本大震災では津波の被害を除けば倒壊した小学校はなく、被災者を支える避難所になっている。彼我の落差の大きさを記者たちが率直な驚きをもって伝えたため、中宣部は看過できなくなったのだ。

もちろん、市場系メディアの震災報道は好意的なものばかりではない。特に福島第一原発の危機に関しては、日本政府や東京電力の対応を厳しく批判する記事が相次いだ。しかし皮肉なことに、中宣部は原発事故関連のネガティブ報道も制限せざるを得なかった。両会で承認された第12次5カ年計画(11~15年)で、中国政府が原子力発電の大々的な推進を決定したばかりだったからだ。

「中国茉莉花革命」には逆風

ところが、ネガティブ情報を絞りこみ、自国の原発の安全性ばかり強調したため、もともと政府を信用しない一般市民の恐怖心をかえってあおった。3月17日には「ヨウ素の入った食塩が放射性物質の体内取り込みを防ぐ」というデマが流れ、食塩を買い占めようとする民衆が全国のスーパーに殺到した。

日本の震災に関して複数の市場系メディアが独自報道を展開したことは、中国の一般市民が日本社会の実像に目を向ける思わぬ転機になった。と同時に、報道機関としての政府系メディアの権威を一段と失墜させてしまった。中宣部は今後、市場系メディアによる独自の海外報道への締めつけを強化するはずだが、覆水盆に返らずである。

ただ中宣部の一人負けだったのかと言えば、必ずしもそうではない。日本の震災は、直前まで盛り上がっていた「中国茉莉花(ジャスミン)革命」への人々の関心をかき消してしまった。共産党政権にとっては棚からボタ餅である。とはいえ、今後のリビア情勢次第では「散歩」を装うデモの呼びかけが再燃する可能性もある。毎週日曜日、大都市の広場には今も大勢の警察官が配備され、厳戒体制が続いている。

   

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