異能政治家の“最後”

2011年1月号 連載 [硯の海 当世「言の葉」考 第57回]
by 田勢康弘(政治コラムニスト)

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政治を観察することを職業にして間もなく40年になる。その間、会った政治家の数はどのぐらいになるのか見当もつかない。取材対象としての政治家との関係も、深かったり浅かったりとさまざまだ。付き合いの長さとは別に、忘れられない政治家、いつまでも心に残っている政治家も何人かいる。そのうちの一人が鈴木宗男である。

その鈴木宗男が受託収賄罪などで懲役2年の有罪が最高裁で確定し、収監される、すなわち刑務所入りする、というので会いに行った。有罪確定と同時に衆議院議員の身分はなくなっているので、もはやただの人だ。比例区選出だったため、名簿によって若い候補者が繰り上げになる。私が彼に会うために訪れたのは、その若い議員の事務所である。ひさしぶりに見る顔は食道がん治療のため入院していたせいか、幾分、痩せていた。声は相変わらず大きかったが、表情はどこか硬かった。

私はこう言った。「議席はなくとも政治はできる。西郷隆盛は2度島流しにあって、それから国のための仕事、明治維新をなしとげた。どうかそのつもりで」

前日に会ったロシアの要人には「レーニンも逮捕されたことがある。有能なリーダーはみな刑務所へ入っている」と激励されたそうだ。「鈴木さんが健在だったら、ロシアのメドベージェフ大統領が国後島へ行くなんてことにはならなかったのではないかと思う」と私が言うと、ちょっぴりはにかんだが、ほんとうにそう思う。ロシアでプーチンが大統領に就任した時、日本人の中ではだれよりもはやく信頼関係を築いた。その信頼関係が小渕恵三、森喜朗と二人の首相の対ロ外交にかなり貢献した。ロシアでは官民を通じてスズキの名を知らない人はいない、とまで言われた。私自身、小泉内閣当時「日露賢人会議」のメンバーで、プーチンの側近たちと会う機会が多かったので、軍関係者や企業経営者にいたるまで鈴木宗男の名が轟いているのを知って驚かされたことがある。彼が足しげく通って築いた人脈もあるだろうが、ロシアの権力機構の奥深く入り込んで情報収集をしてきた外務省の佐藤優の協力なくしてはできなかったことだ。

佐藤優に私がモスクワで会ったのは、ソ連崩壊の少し前のことだった。すごい3等書記官がいると聞いていたので、興味半分で会ってみた。私も日頃、情報で仕事をしているので、どのレベルの情報かはある程度はわかる。それはそれはすごい情報だった。その時に私にゴルバチョフ失脚とエリツィン登場を予言してみせた。他の外務省の人々とは情報の出所が違うように思えた。もちろんソースを明かすことはなかったが、情報の質や内容から見てKGBなどの諜報機関ではなく軍、それも相当上層部ではないかと想像した。鈴木、佐藤の二人ががっしりと手を組めば、入手できる情報の質も量も、そして人脈もおそるべきものになる。現実に小渕、森内閣ではこの二人が水面下で目まぐるしく動き続けたのである。

政治記者として鈴木宗男を取材したことはない。彼が秘書をしていた代議士中川一郎にインタビューしたことがあるが、その時が初対面だった。それ以降もほとんど会ったことがなかったが、彼の動きだけは小渕、森両首相を通して聞いていた。当時から鈴木宗男は毀誉褒貶半ばする政治家だったが、両首相ともその行動力に大いに期待しているようだった。独自のルートで外交に関わりを持つと、必ずや外務省との軋轢を生む。外務省のために労を厭わない政治家は多くないので、初めは外務省とも悪い関係ではなかったが、小泉純一郎政権になって田中真紀子外相が誕生してから、ことごとく対立することになった。真紀子対宗男の対決はまるでハブとマングースの闘いのようにTVのワイドショーを賑わせた。

真紀子人気が高まる一方で、鈴木宗男バッシングが燃え盛った。さまざまな疑惑が取り上げられ、なかでも北方領土関連の利権を象徴するかのごとき「ムネオハウス」という共産党の指摘は世論を大きく動かした。ロシア人が英語でハウスなどと言うことはないという反論もまったく効き目がなかった。決定的だったのが「あなたは疑惑のデパートなんかではない。疑惑の総合商社だ」という社民党(当時)の辻元清美議員の決め台詞だ。

たくさんの疑惑について報道されたが、彼がどういう疑惑で逮捕されたかまで知る人は少ない。うわさの北方領土でもアフリカへの経済援助でもなく、地元北海道の業者からもらったカネが賄賂と認定されたのである。逮捕のきっかけになった案件の内容や判決の当否については素人なので論ずることはしない。しかしながら、近年の東京や大阪の地検特捜部の問題を考えると、「はじめに逮捕ありきの国策捜査」という鈴木宗男、佐藤優の主張もあながち見当はずれとは言えないような気がする。

「松山千春という人物の力は大きいですね。千春さんがあそこまで宗男さんをかばうんだから、という人が多いですよ」と私は彼に言った。

「ありがたいです。松山さんがいるからこうしてがんばれる」と足寄高校の後輩に敬称をつけて気持ちを表した。めったに政治家の資金集めパーティーには顔を出さないが、鈴木宗男のパーティーには毎年顔を出している。ほかの政治家のそれとはまったく違う。企業がパーティー券をまとめ買いし、代表者が顔を出すパーティーは、どこか雰囲気が冷めている。出席するほとんどの人が自分で1枚購入しているのだ。だから異様に人が多く、会場は身動きできないほどである。盛り上がるのは松山千春が登壇した時だ。

「おれもよー。宗男さんばかりか石川(知裕)まで、つまり刑事被告人を二人も面倒見ることになってよー」といきなり北海道の言葉でどきりとする話から始まる。笑わせ、しみじみさせ、そうだ、と思わせ、そして泣かせる。こんなに温かく、人を感動させる話を聞いたことがない。

新党大地という名前をつけた松山千春は9月下旬の「大地塾」でこう言った。「もし塀の中にいる間に解散・総選挙になったらどうするんだ。そのときは松山千春が先頭を走ってくれと、宗男さんに直接言われました」と留守を守る意思を表明した。

鈴木宗男は12月6日収監された。「どこの刑務所かわかったら必ず連絡します」と言った。握手で別れるときに涙目になっているのがわかった。1年5カ月ほどのち出所しても、以後、5年間は選挙には出られない。毀誉褒貶のつきまとう異能の政治家は、これで姿を消すことになるのだろうか。かつて田中角栄がそうだったように、かくして地の底から這い上がった政治家はつぶされてゆく。(敬称略)

著者プロフィール
田勢康弘

田勢康弘(たせ・やすひろ)

政治コラムニスト

早稲田大学卒。日本経済新聞社ワシントン支局長、編集委員、論説副主幹、コラムニストなどを歴任し、2006年3月末に同社を退社。4月から早稲田大学大学院公共経営研究科教授、日本経済新聞客員コラムニスト。

   

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